okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

ロゴ

okeiというロゴは、大先輩なんだけど友達なこやちゃんが作ってくれた。
改めていろんなものを整理したりしているといろいろな思いが募る。
ロゴを頼んで出来てきたロゴは修正のしようがなかった。

片寄がやるから、誰にもできない、唯一の店にしてほしいから、
書体を作ったよって。

ありのままの書体じゃないものにしてくれた。

誰にもできないなんて、思いをしてなかったけど
楽しいお店ってことはそう言う要素も必要なのかなと身が引き締まった。

そして今。
そのロゴを見つつ、いろんなお客様の発言や助言に耳を傾けていると
ふとした時に思い出す、こやちゃんのロゴの意味。

僕のいろんな言葉があったり、趣味が見え隠れしたり。
スタッフにもそれが影響していたり。

雑多な感じがokeiっぽくて。

12年前にこやちゃんが作ってくれたこのロゴが僕をそう引き寄せたのだろうか。
形ができた初めてだから。

始まりってその時はあんまりわからないもの。
あっという間に始まってしまうから。準備は大変だけど。
でもしっかり考えたり、苦労したりしていれば、
いずれそれが何らかの形で帰ってくると思う。
始めないとわからないものははじめてもわからない。
続けないとわからない、始まりの時。

今、少しずつ分かってきた。
はじめて続けてきたから。

伝わる心は伝えてみないと伝わらない。
伝えてみても、すぐ伝わるなんて持事もない。
伝え続けて自分もそれを実行して、しかも幸せにならないと伝わらない。

なかなか難しいけど、結局のところ 伝えることを始めなければ伝わらない。
結果はもっとだいぶ後だったりするんだけどね。

あーそんな気分です。
もうすぐ来年。
がんばるぞ! 

12周年partyを終えて。

12周年partyが終わりました。
前売りした入場バンド 220本は完売。
追加で当日用に作った入場バンド 100本も完売。
10周年は別会場で700人弱だったのを除けば、過去最高のヒトでした。
子供たちも50人以上。ピッツァを焼いてサッカーボールを作って。
まだ小さい子はそれを見て、踊っていたり。
ごった返してしまい、入れなかった方も沢山いて申し訳ありませんでした。
でも店内は本当に温かく、みんながみんなを支えてくれて、とっても楽しかったです。
毎年毎年、やってるパーティだけど、本当に今年はいろんな思いが募り、泣きっぱなしでした。
最後の最後、スタッフが僕が大騒ぎして笑えればを3階で歌っている時に隣に来て

【 今年の周年、楽しかったですね 】

その言葉でもうすべてが整理出来ました。
僕は幸せなんだって。

お客様から何度も何度も

【 今年、一番頑張ったのは オケイさんだよ 】

って言われて泣き続けました。
自分では言えないから。褒めてもらえる時は本当に嬉しいなと。

こんなに感情的にいた周年partyはなかったように思います。

去年の今頃、社内的にはもうどうしていいのか、何が起こったのか。
今もわからないくらい、崩壊が生まれてしまい、ビストロokeiがなくなってしまいました。
同じ場所に新たに出来たのがトラットリアokei。

残ってくれていた6名と共に少しずつ歩き始めた12年目でした。
今は倍のスタッフになり、なんと言いますか、今いるスタッフは今年の初めはまだ出会ってなかったんです。
それが、会社の逆境を皆で乗り切ろうという思いを見せてくれて。

仲良くというとチープですが、これだけチーム力が高くなってきていることがとても印象的な2017年でした。
ishimaruという店ができたけど、石丸はとても最初後悔していました。
自分がやりたいって言わなければ、会社は安泰だったのに・・・と。

僕にとってはその言葉が本当にかわいそうで、何とか自分が幸せになる!、お店を幸せなオレンジ色にして見せる!と
2017年は過ごしていました。
出来るだけ長く店にいようとか、家でも奥さんにも迷惑をかけながら、出来るだけ仕事をして。
奥さんには寂しい思いをさせた2017でしたが、自分なりに彼女との時間も過ごすことができたとは思っています。

ぎりぎりの状況で夏まで来て、ロックインジャパンという夏フェスに毎年恒例のフェス社員旅行。
正直、お金のことを考えればいくのがいいのか。わかりませんでしたが、参加して、皆の顔を見たり、
話している内容とかを聞いたり、その間に間違いじゃなかったと確信しました。
あの空間でそれぞれが楽しんでいる空気はまさにオレンジ色で。
実はうじうじしていたのは僕だけで、みんなはもう切り替えていたんですよ。完全に。
いや、むしろもうもっと前から楽しもうとしていたのに、僕が悲観的でネガティブだから
そう言えなかったと思いました。反省です。
経営者というとカッコいいですが、その一番のもろさが出てしまった時でした。
それから2名のスタッフが入り、自分のシフトも変わりました。
毎日、朝から夜中までだったのが、少し入りが遅くなり、視野が広がりました。
自分の本来やらなければいけないことが少しずつ見えてきたような気がしました。

もちろん、この時、産休育休を終えた碧が復活していたことも重なり、ゆっくり歩いていたのが走り出した9月。
周年partyというものが見えてきて、一人ぐっと気持ちが高まったのを覚えています。
やっと見えてきたって。
色々あったけど、今が幸せで今のokeiそしてIshimaruのメンバーが最高だって言えるのは本当に奇跡。
スタッフとお客様にどっぷり支えられた2017年だったなと。

2020年1月31日にトラットリアokeiのビル(2階3階)が壊されることになっています。
1階は残ります。
だから、残すところパーティはあと2回しかないなーって思っていたんですが、
良く考えたら、もしかしたら、ちゃんとパーティができるのは来年が最後かもしれない。
2019年はもう移転している可能性はありますからね・・・。

そういう意味で、終わったばかりのパーティですが、来年のことも考えていかなきゃ!と
来年は僕が支えなきゃって思い、身が引き締まってきました。
もう少し余韻に浸ろう。
2017年内は気持ちは12周年。

いろんな話をしにokeiに来てください。
泣かせないでね。

ありがとうのキモチ

OKEIのスタッフへ

石丸へ
okeiに来てくれてありがとう。
京都から来てくれて、本当にありがとう。
沢山怒ったし、我慢もさせたよね。
毎日毎日、朝までマカロン焼いたり、仕込みしたり。
石丸がokeiにいなかったら、今はないよね。
Bistroのchefをやるときも、新橋を1時間以上ぐるぐる歩き回りながら
話したね。

ishimaruというお店がお前を幸せにしてくれるように俺も頑張るからね
一緒に頑張ろう。
ありがとうね

酒井さん
ishimaruに来てくれてありがとう。
僕が渡したラブレターにより、来てくれた。
嬉しかったなー
酒井さんが来てくれなかったら、今年のokeiは全く違うものでした。
僕は新橋にいれなかったかもしれない。
だから酒井さんがokeiを救った部分もあります。

こうして大好きな酒井さんのサービスを僕のお店で出来るというのは
本当にありがたく、誇らしいです。
これからもよろしくお願いします。


ずっとずっとokeiを好きでいてくれてありがとう。
お客様から今まで一度たりともその愛情を感じなかったことはないよ

産休育休に関しても、周りの目もあるから緊張感あったけど
何とかしたくてね。
今。皆にも認められている碧を見ていると本当にすごいなーと。
そして今のokeiスタッフの愛情もいいなと。

ゆずがあるもの、okeiで出会った旦那。
生粋のokeiのヒト。だね。

僕も碧をもっと幸せにできるよう、碧はokeiを幸せにしてください。
ありがとう

清水さん

トラットリアokeiをやるって言ってくれてありがとう。
あの言葉がなければ今はありません。
いろんな話をして苛立ったり言い合ったり。
でも長い間話を出来たから、今がある。
相談に乗ってくれたり、皆の相談を乗ってくれたり。
引っ越した時はびっくりしたけど嬉しかった。

トラットリアokeiを考えてくれているんだーと。
下を育てる事にも尽力。
頭が下がる。

トラットリアokeiが今までのokeiで一番って言われたい!
そんな気持ちが伝わってくる。
気持ちを見せてくれて本当に嬉しく、泣いてしまいそう。ありがとう。

武田

テルツォokeiを大好き、okeiを大好きって言ってくれてありがとう。
いつもいつも、笑顔で楽しくやっていて、すごいなーと思う。
たまに見せる曇った顔は大体店が上手くいかないとき。
自分がうまく出来ないとき。

僕は21歳くらいから知っているから今マネージャーになり、
碧の後をひょこひょこついていた武田を想えば、すごーい成長だし、
任せたくなる人。

今、okeiは武田が作ってるよ!
それが自覚も出来ているだろうし、皆もそう思っている
それって超幸せプレッシャー!
頑張ろうね

黒井

ずっとokeiにいたいって気持ち、本当にありがとう。
黒井君が何があっても辞めない、そんな選択肢がみじんもないって感情が
嬉しくてね。
料理人からフロア。マネージャー。
本当にいろんな店舗をやってくれて、仲間も沢山。

結婚式でOKEIのシャツが沢山あったのは感動だった。
黒井がココに来てから
okeiはどんどん大きくなった。
それに対応するのは大変だったと思うけど
今はこうして僕にとって大切な右腕。

一緒により良くしよう。

小倉

okeiのPizzaを美味しくしてくれてありがとう。
自分が見様見真似で始めたお店が今では小倉の手で
とっても美味しい、評価になってきた。
これは自分の店だけど、嬉しいし、また食べたい!って思う。
自分の店のピッツァが好きって嬉しいよね
愛情いっぱいのピッツァは小倉の人生そのもの。
小倉の人生に関われたことがとても誇りです。

ピッツァは不思議な食べ物。
温かくなるし、絆。
僕の人生は小倉のPizzaで豊かになったよ
独立って夢を一緒にかなえようね
出来るだけなんでも協力するよ!

ありがとう


加藤

okeiに来てくれてありがとう。
本当に偶然、奇跡的なタイミングだったね。
でも、あー本当にいい人がokeiに来てくれたって思っているよ
若いけど、僕とも音楽の趣味が合うしね!
まだまだ教えてあげたい楽しみが沢山あるから
僕も加藤と遊ぶのが楽しみなんだ。

仕事も加藤が幸せな辛い仕事を与えられてることも
互いにいい感じだった話したね。
いつかぼくらがもっと年を重ねていちろうで飲むことがあったら
今のことをしっかり覚えておきたいね

これからもよろしくね

松山

いろいろ悩んだ結果、okeiを選んできてくれたね
ありがとう。
どこに行こうか悩んでいる人が僕のところに来てくれるなんて
嬉しかったよ

整ってない店だからね
でもそれが松山の人生が幸せになるようならいいなと。

碧のサービスを尊敬するって言っていたね
僕も嬉しかったけど、碧は泣きそうになっていたよ

そうやって人を見てくれていることは
本当に嬉しい。

このお店でチャレンジしてくれることも増えてきたし。
色々と相談してこれからもokeiを良くして行けるように
しましょう!
もちろん、僕が環境を作らないとね。
また八百長行こうね!

あ、子供がダウン来てる飲みたい!

しおり

okeiに来たい来たいって言ってくれて
嬉しかったよ、ありがとう。
まだまだ若いから僕が何もしてあげられないかもしれないけど
しおりの人生にokeiってお店があって、
今いる仲間がい続けるようにしたいなって思う、
辛いことも楽しい事も一緒に投げ出さずに行こうね

毎日しおりのお客様が増えていくって感じがするよね
大切にお客様に接していることが結果になるのだね

みんなからしおりのことを良い事しか聞かない。
それが本当に僕は嬉しくてね
だって僕が選んで入れた人だからさ

いっつもokeiにいて幸せって言ってくれてありがとう

水谷

okeiに来たいって言ってくれてありがとう。
笑顔が絶えず、頑張っている姿は同年代として
嬉しくなります。
家族があり体力が大変の中、眠い中頑張ってるね
身体が心配だから気を付けてね。

okeiに来てくれたからには水谷がしたい事を全部したい!って思うことを
表現させてあげたいなと思う。

前職で悩んでいたことを正直に伝えてくれたから
今がある。
そういう意味では、これからも悩みやこれからの夢を語り合いながら
okeiというお店も自分自身も成長していこうね

出逢えてよかった、毎日楽しいよ

かまちゃん

okeiに戻って来てくれてありがとう。
okeiで働いていたのは5年とか6年とか前なのに、
また手伝ってくれて。
明日も一緒に周年partyなんて本当に夢のようだよ

繋がり絆の象徴かもしれないね
新旧のスタッフをつないでくれる人。
ありがとう。

僕はかまちゃんに会って、本当に幸せ。
だってさ、今でもあんなにお客様に愛されてるでしょ?
すごいよ 数年間いなかったのに。
みんなみんなだよ。
あっという間に新しいお客様もかまちゃんワールド。

本当にありがとうね

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

あーだめだな、泣いてしまった。
今日の賄でスタッフからのちょっと早い誕生日プレゼント。
OPENしてからの写真。100ページくらい。

あー嬉しいな。

明日が周年partyなんだけど、今日がプレオープンしていて、仲間が200人以上来てくれて・・・。
愛情が一杯の日でした。

1年は長かった 2017.

去年の今、絶対絶対2017年は楽しむ。
そう決めて、1日1日過ごしてきました。

それが明日になる。

あー嬉し。

お店にはたくさんのありがとうという言葉が並びます。
皆が皆に向けて、お客様に向けて。
僕は50人以上のスタッフに向けて。
愛情いっぱいの心温まる空間に。

本当に皆様、okeiを知ってくれてありがとうございます。

幸せな心持です。

今週末。12月9日は周年party。
12年。なかなか長いかな。
飲食業で10年以上続くのは3%と言います。
でも97%の人たちがどうしようもなくなっているわけではなく、
すっと手を洗い、別な事業を始めている方もいるだろうし、サラリーマンになる人もいる。
何が幸せというのは決まりはないから、その数字にはあまり興味はない。

ただ、僕にとって日を年数を重ねていく事はとても誇らしい事だ。
人との比較ではなく、自分として。
何事も続けるのは大変なことで、僕も日常にどうしても必要なこと以外はなかなか続かない。
okeiというお店をやった12年が僕にとって一番続けていることではないかと思う。

続けていけるコツは何ですか?
良く聞かれるこの時期。

続けていく勇気、我慢かもしれないという。
美味しくしよう、楽しくしよう、お店を出したらいろいろみんな頑張る。
でも、当たり前だけどほとんどうまくいかない。
だいたい出来なかったり、出来たり。
時にはとんでもないことが起きたり。
一生懸命努力しまくって、ちょこっと叶う。
そんな繰り返し。
だから、何もしなかったら絶対ダメになるし、誰も目の前からいなくなる。
だから、見返りなんてなくても、目の前のお客様が楽しそうにしてくれる笑顔をもらえるだけで
過ごせる気持ちが必要だったりする。

たまに営業しながら泣く時がある。
何もない時。だいたい、急に時が止まる。
僕以外の全てのものが動いて見えて
僕が夢だったお店を誰かが叶えてくれている感じがいきなり目の前に来たような。

本当に幸せで胸がいっぱいになる。

結局、それがしたいだけ、みたいだけ、その空間にいたいだけ。

色々不幸せなことを並べることは簡単。
でも自分がどれだけ幸せかって言えたら、スタッフはここに嬉しそうに来てくれたりする。
お客様も楽しそうにしてくれたりする。

僕は幸せです、だってokeiにいれるから。
僕は今、かなり胸を張って言える。

父が嬉しそうに飾る絵があるokei。
友達がたくさんできたokei。
自分の好きなカズやサザン、それらを見たり聞いたりできるokei。
僕と一緒に仕事をしたいって言ってくれる人がいるokei。
自分のあだ名okei。
両親姉、妻やその家族がふとした時に寄れるokei。
スタッフの家族が笑顔で来るokei。
先輩や友達が来てくれるokei。

沢山のokeiがあって、僕には夢のような空間。
このokeiを作ってくれた仲間やお客様たち。
ありがとうっていう言葉が大好きで、それが飛び交うことが幸せでならない。

僕が究極論、死んでしまっても、okeiがなくならないことを考えている。
この空間が誰かの手で継続し、何十年も何百年も続くことを祈る。
そのためにできることを僕がなるべく長く生きて、okeiを続けていく事かなと。

そうすれば、僕もずっと幸せ。

面談

今現在、面談の真っ只中。

年に2回、スタッフとの面談を行っている。
ボーナスがあるため、夏と冬。
1人2時間ほどだ。長いようだがあっという間・

その資料は1人に対して3枚から5枚。A4の紙に文章。
以前は五段階評価とかいろいろと試したが、自分には難しく、思いを文字にして伝えている。

気持ちを文章にすると書いている間に色んなことを考えて泣いてしまうことも多い。
スタッフとのことや今までの事、お客様の事。
愛情なのか、後悔なのか。わからないけど泣けてくる。

同時に後半の面談のタイミングがこの時期。
12月に毎年パーティを行っている時期。
今回は12周年ということで干支が回った。

そのことを考えるとやはり泣けてくる。
長く続けられたこと。
その前に、okeiを始められたこと。
それが僕には特別でこの二つが一番かな。

そしてそのためにはお客様がokeiを目指してきてくれたこと。
毎日、はじめてくるお客様がいる事。
幸せだなと思う。

店はお客様とスタッフが作る。
僕じゃない。
僕はスタートさせて、スタッフの居場所を作ること。
お客様の場所を作ること。

12年があるのは紛れもなく多くの方々の支えによるものだ。
ありがとうって本気で伝える。

この面談の時期に一人一人のスタッフのことを考え、考え抜くのだが、
2時間の面談が終わりこうして帰る時には、あれもこれもと少し後悔したりする。

難しい。

12年続けていることも続けられなかったことも。
それでも店があること。

面談というものが実はオーナーを面談しているスタッフが目の前にいたり。
余裕そうな顔をしてもっとも緊張しているのは僕なんだよね。

あっという間に12月9日になるだろう。
泣くと思う。

今年は最もきつい1年だったから。
でもだからこそ思い出が深い。

スタッフとの絆が深い。
大切にしたいあと少しの2017年。

12年、続けていけそう

僕はお店を経営して12年を迎える。
毎年毎年、12月9日に近づいていくとビクビクする。
年末に会社でトラブルがあることが多いから。

去年は最大だった、僕がishimaruお店オープンのため3か月間、勝どきのお店につきっきりの間に、
新橋okeiでは社内で多くのトラブルが発生しており、崩壊してしまった。
実際ビストロokeiがなくなる事態になった。

全てがなくなることも想定していたが、何とか立て直して1年間、スタッフと共に形にすることが出来てきた。
もちろん、以前の売り上げをあげることはまだまだできない、

損失1000万円という会計士のコトバで始まった今年。
本当にきつかった。
まだ終わっていないが、周年パーティを出来ると判断できたのでこう書いている。

店を経営するという夢の中にはなかったことが、沢山起こったというのが印象の1年。
僕の能力不足が否めない。

いろんなリスクのある経営というものにとても考えさせられた。
まだわからないことばかり。

でも、やりたいことも溢れている。
幸せなことだ。

誰しも挫折があるとは聞いていたが、自分になるとやはりつらい。
経験もしたくないこと。
でも、経験するものなんだなーと感じている。

それでも乗り切れないものもないんだなーと1年間で強くなって気がする。
12月9日に12周年パーティを行う。

初めての方も来てほしいし、今までの方も1年間乗り越えられた僕たちを見に来てほしい。

2020年1月にビルが建て直しになり、トラットリアokeiはいったんなくなります
この規模でやるのはあと2回か3回。
ぜひ一緒にすべてを目撃してほしい。

そしてお店を出すこと続ける事、そしてそれを幸せに感じ続ける事。

僕がそれを続けられるまでokeiはあると思う。

皆の中にもokeiがあるといいなと思う

Pizzeria terzo okei OPENして5年になりました

今日はひっそりと記念日でした。

1階Pizzeria terzo okeiというお店がひっそりと5年を迎えた。
明日からはもう6年目だ。
12年弱前に 2階にPizzeria Bar okei を出した。
自分は29歳だった。
4年後には3階に2店舗目を出した。

2012年4月くらいに隣ビル1階の物件が空く情報が入った。

20年ほど新橋1丁目で個人店が出せるような場所が空くことはなかったようだった。
路面店の経験がなかった自分は心のどきどきが止まらなくなった。

その時期に拡大してよかったどうか、わからなかったが、ある程度感覚で決めたと思う。

空中階から見下ろして人通りを見ながら過ごしてきた7年間。
自分なりに充実もしていたが、世に出ていく感覚が1階にはあった。

この決断が今の自分のベースになっているかもしれない。
人は増え、トラブルも増えたし、抱える悩みもドンドン孤独になっていった。
だいたい、拡大していけばいくほど自分しかわからないことが増えて、孤独になる感覚は
おそらく多くの経営者が掴んでいる真実だろう。
そこが外から見ている自分とのギャップになり苦しくなったりする。

でも、はっきり感じるのは2012年9月10日にPizzeria terzo okei を出して良かった。

あれから5年が経ち、多くの人が旅立ち、多くの人が働いてくれた。
仲間と食べる賄は、ほぼ1階で食べている。

幼年期家族が崩壊してしまう前にかすかに残っている家族団らんの証、それが1階の壁にある大きな絵。
父親が大学生くらいに書いた油絵。

僕の家族団らんはあの絵が全て。
そこで食べられるま構いは格別だ。
そして、そこでお食事を楽しんでくれるお客様たちを見ているとニヤニヤする。

だから親子で来てくれたり、仲間で来てくれたり、大事な時に来てくれたり。
そんな時にあの絵があると嬉しい。

あーずっとそうしていたい。

お店を出すって大変だと思う。
人によって考えもあるだろうけど大体大変だと思う。
色んな場所で色んな人のオープンに携わってきたし、見てきた。
みんなありがとうって気持ちしか言えない。
でもその裏には誰にもわからない苦労があったりする。

それでもみな自分のお店を持つ。
それだけ夢がある。

そこには自分の夢だけじゃなく、仲間や家族。
そして何よりもそこに来てくれるお客様に出会い、幸せをもらえるという
大きな夢が待っている。

7年目で1階のお店を出せたことは
自分の何かを変えた。

1階にお店を出してから来てくれたお客様に出会えたこと、
それまでのお客様が今も来てくれる幸せ。

これからの自分に力を与えてくれる今日。

okeiというお店で働いてくれている仲間に感謝します。