okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

フェスへ。

もうすぐロックインジャパン

2002年から18年連続参加している。

2006年からはokeiスタッフと共に社員旅行かねて行っている。

今となっては当たり前のようにスタッフとともに参加しているのがうれしいというか、

考え深い。

最初は桑田さんが出るから協同広告の先輩方とともに25人くらいかな。一緒に行った。

あまりに楽しくてそれ以降も先輩や友達をまぜこぜで参加し続けてきた。

独立してとてもその仕切りが出来ないと思い、行くのを辞めようと思った。

そしたら、大先輩の源太さんに怒られて・・・

お前が始めたんだからやり切れよ!

 

その言葉が今でも心にあります。

だんだん、仲間とか先輩方もロックフェス熱が減っていったけど

僕は募るばかり。

その間、沢山のフェスに参加してきて、一つ僕にとってロックフェスを愛するというか、人生で大きな考え、お店を経営するにあたって大きな志にたどり着いている。

桑田さんを見たくて行ったロックインジャパン

持ち帰ったのは、自由な大きな空間。

そしてウルフルズやブーム、ドラゴンアッシュ

色んなアーティストを初めて見て、楽しくて楽しくて。

色んなロックフェスに行ってみて、綺麗さがナンバーワンがロックインジャパンだと思う。あれだけクリーンスタッフがいてトイレが多く。

子供たちが裸足で走っているフェスはない。

多くの仲間と行く僕としては安心感が強く、今につながっている。

お店に置き換えてみる。

ピッツァを食べたくて来てくれたお客様が

パスタが美味しかったとか、スタッフと会話が楽しかった、ワインが美味しかった。

雰囲気が良かった。

それが重要なことで、いかにプラスαを提供できるか。

期待してきたもの以上があることが大切なサービスだと思ってる

まさにこの考えの根幹はロックフェス。

多くのアーティストでフリーダムな愛情たっぷりの空間を作りたいと誰かが始めたもの。それが今となっては1年どこかでフェスみたいなものがやるようになった。

空間が好きなんだよね。

OKEIに入って、音楽やサザン。夏フェスが好きになった人も多い。

仕事をしながら趣味が出来たり、1年の重要なイベントが自分の中にあるって幸せだと思う。それが共有できること。夢のような話だ。

改めて、自分のお店、会社だから自分の考え方を大事にしたいと書いていいて思った。

今思いました。

僕は、仲間っていうものが好き。

時代錯誤というか、乗り切れてないのかもしれないけど、好き。

強引でも皆にその気持ちを伝えていきたいと思います。

日本ワイン

日本ワインに携わってまだ数か月。

率直に、楽しい。

やはり今までエリアを見てわからず、地図を見てきた世界のワイン。

それと比べると北海道が寒い事も大分が南のこともわかっている。

頭で理解できるエリアでワインが醸造されていたり、葡萄が育っていたりすることに驚いたりしているのが楽しい。

また、発展途上のワイン産業、色んなつくりとと話すうちに頭の中がシンプルになる。

 

美味しいものを美味しいまま飲んでもらいたい

 

世界ではできないワインの作り方や世界に無いワイン品種がある

そこにプライドを持って提供して、飲んでもらえたら、バラ色。

日本ワインで改めて日本を知る。

ワインを知らなくても日本の土地は知っている。

これからのokei、僕に大切なワインエリアであると思います。

1センチ、前に。

2人で始めたokei。

毎日同じ顔で4人くらいまでは打合せなんてなかった。

準備や営業、片づけをしながら話をして明日や未来を語った。

誰も結婚してなかったし、若かった。

今は違う。

家族もいて、子供もいて。所帯も大きくなり、10名を超えた。

たまに手伝ってくれる人やアルバイトを入れたら15名も超える。

想いや気持ち、将来や悩み。色んなことをふと確認できたり、

表情から雰囲気や今を察知してあげることもママならない。

片寄というオーナーだけがやっていくには限界があるのかもしれない

碧が奮闘し、それ以外のスタッフもどうにかしようと頑張ってくれている。

ゴールが見えないのではまずい。

OKEIというお店が常に変化していることは長年変わらない。

常連さんにとってはそれがイマイチだったりするかもしれない。

でも自分が料理人ではない中で、お店にチャレンジしようとすれば

ある程度変化を持たせたり、保ったり、そんな時期は必要で。

色々と悩む。

実際、お店は1店舗をやる方が色んな意味で確実。

現に僕は4店舗になっても給与は下がっていくか、上がらない。

それどころかリスクが増える。

ただし、スタッフは安定する場合もある。

僕はそこにかけている。

複数店舗あるからこそできるサービス。

料理。空間。

複数店舗あるからメンバーが休めたりするのではないか。

助け合うことも出来るんじゃないかと。

まだうまく出来るかわからない。

ただし、もがいてみる。

もう少しもう少し、あと1センチ、前に。

 

子供みたいな経営者

お店をやっていくというのは、日々ずーと難しい。

うまくいってもいかなくても。

沢山の愛情を注いでいるお店だし、スタッフ。

スタッフからも沢山の愛情をもらっているお店だし、僕。

そんな太い綱だったり、まだまだ細かったりする糸でつながっていて。

それが色んな方向から絡み合っていくのがokeyという会社であるような気がする。

僕はほかの会社を出来るだけ意識しないよう努力している。

今のokeyという会社、okeiというお店があと1センチ良くなればいいから。

それでもうまくいかない。スタッフがいつも何のストレスを感じないなんてないと思う。

こないだスタッフと話していて

「片寄さんは、後悔とかないんですか」

って言われた。

少し考えたけど、僕は後悔ばかり、毎日毎日、スタッフへの一言一言でも、言い方ひとつで後悔や反省をしている。

いい意味ではなくて、それほどミスばかりをしているってこと。

単純に僕はみんなに褒められたくて生きているような気がする。

良い店、良い会社って思ってもらえることが嬉しくてうれしてく。

だから会社をよくするって思ったり、待遇を考えたり。

子供みたいな経営者。

今、少し壁があるけど乗り越えたい。

乗り越えられない人にはそんな壁はできないっていうから。

okei おけい屋 やってます

何となく、また書き始めよう。

色々とあり、発信をしないでいようと思っていたりしたのだけど、細々始めます。

okeiというお店が今、4つある。

新しく おけい屋 という居酒屋を出したから。

全く予定がない出店だった。

トラットリアオケイの移転先を探している最中にふと紹介されたのが新橋駅前ビル。

最初聞いたときは、全くやる気がなかったのだが、2度目に言われたときに何となく見に行ったら、即決。

ワクワクしたから。ドキドキしたから。

出店して1か月たち、まだドキドキしている。

未来がある場所だなーと。そして新しい業種を始めたことをチャレンジと感じている。

イタリアンという業態を始めた時も、だいぶチャレンジだった。

脱サラだったから、大丈夫?と思った仲間も多かった。

居酒屋という業界に入り込んで奥が深いというか、概念が広いと思うこともあるし、凝り固まっているということもある。

いずれにしても、やはり自分の想いとアイディアが必要だと確信している。

ネットにも本にも色んな飲食のアイディアはある。

ただ、僕らがやるのは自分が契約した物件であり、そこに回遊するお客様、担当する人たちによっても全く違う。

僕らが自分のお店だけを見て、自分の社員だけを見て、あるアイディアを持ち、実行して、失敗して、またチャレンジ。

それしかないと思う。

SNSを駆使することも考えなおした方がいいと持っている。

結局、とどのつまり、お客様がまた来てくれるかどうかだから。

ただ、知られないことも怖い事。その辺りが難しいです。。。

今、okeiというお店は大きなチャレンジが沢山あります。

各店舗が独立した体制と取りつつあり、僕がいないokeiが成り立っていくように

各社員が奮闘してくれている。

14年前はずっとずっと1つのお店にい続けるつもりだった。

色んなことがあり、こうしてチャレンジが続いている。

50歳になるまでに自分の人生が決まる体制を作りたいと思っている。

会社をより良くしたい。

@月に7回休みという体制をこの数年間続けているが、それを持続、または増加。

@有給制度を使える体制を作る。

@定休日を増やし、安定させる。

@店舗を増やすことが大切ではなく、クオリティをアップしていくことと、スタッフが満足できる待遇。それがお客様へ届くと信じている。

僕は8周年が終わった時から、体制を整えようと考えてきた。

6年が経ち、少しずつ形になっていること、そうでもないところもある。

社長の仕事っていう中にはいろいろあるなあと改めて感じている。

でも今の自分ができることがあるのがうれしい。

okeiって名乗ってくれる人達を大切にしたい。

okeiを去っても、okeiを大切に思ってくれる人もいる。

そんな関係を続けて来れた14年間を誇りに持ちつつ。生きていきたいです。

あ、このブログは書き続けようと改めて思う。

でも前はFacebookにもシェアしたけど、今はやめておく。

 

13年が経ちました。

f:id:pizzeria-okei:20181208134208j:plain

f:id:pizzeria-okei:20181208160156j:plain

f:id:pizzeria-okei:20181208182439j:plain

f:id:pizzeria-okei:20181208201417j:plain





≪いつもありがとう≫

 

子供を合わせたら300人近くが参加した13周年partyで一番言われた言葉。

僕が言わなきゃいけないことなのに、会った瞬間に言ってもらえる。

≪おめでとう≫よりも最初に。

それだけでお店を始めて良かった。

13年間、新橋の自分のお店に毎日来てよかった。

そう確信できた。

今年は、大きな変革の年だった。革命と言ってもいい。

毎年作るシャツやパーカーには

viva la revolution と刻んだ。

新しいViva!okeiをかけて、革命バンザイ!

13年でずっと続けてきたことなんてあんまりない。

変えてきた。人も店も料理もワインも。ぜーんぶ。

変えて、変わらないよねって言ってもらえると思っているから。

今年はスタッフよりもお客様が楽しむことをより考えた。

いつもはスタッフの一体感とか色んなことを第一に考える。

ただ、今年はほとんどのスタッフが2度目以上の周年経験者。

何となくやり方も肌でわかっている。

3アーティストにライブをしてもらい、各階を同時にスタート。

最初から最後までスタッフがそろうことはなかった。

それでもみんなが目の前のお客様とスタッフと楽しむ姿があった。

スタッフが考えた料理やワイン、そしてサービス。個々が自分たちで考えて動く姿が印象的だった。

そのお蔭でお客様としては、お祝い事という圧倒的なオレンジ色の空間と料理。酒。そして音楽。それに加え、スタッフの躍動感が加わり、とてもいいパーティに出来たと思う。

その空間はLOVEJAPANと銘打った、チャリティ。自分としてチャリティというものはいくつかしてきた。ウガンダの子供を2名、お店を出してから育てているのもその一つ。自分が生きている中で、少しの我慢で誰かが生きていけるなら。お店を出して誰かを幸せにしたい!って思ったからはじめたものだった。

新潟、東北やイタリア。色んなときにお店内外でのチャリティ実施や募金などやってきた。今年は災害が多く自分がどうしていいのかわからなくなっていた。何をしていけばいいのか。このままノホホンとお店をしていっていいのか。それで今回のチャリティフェスになった。一番はスタッフの理解。okeiでは利益を20%を還元すると決めている。僕だけの会社ではないとはっきり決めているから。だからチャリティは勝手には出来ないしスタッフとしての本当に自分の給与を出しているのだ。

そういう意味で今回のパーティの主催者は社員であり、社員の家族だった。

そしてそれに賛同してくれたデザイナー小柳和男さん、Importerや食材屋さん(フードライナー、日酒販、稲葉、モトックス、パシフィック洋行、クオーレクール、アルコトレード、ファインズ、岸本、キリン、インベブ、モンテ物産、トレジャーフロムネイチャー、アズマ、三菱食品、BMO、フィラデス、熊本製粉、タカナシ、天草漁港の皆様、フードファッション、サユウ、柴田屋酒店、亀谷食品など)多くの問屋さんが協力してくれたし、アーティストも。ありがとうございました。HONEBONEさん、広沢タダシさん、okeiさん(同じ名前でややこしい笑)

10坪程度のお店が13年前に出来て、オープニングや1周年にも200人以上の人が来てくれたり、それ以降毎年やるこのパーティが、皆の12月の恒例になっていく姿を見てきました。飲食店で成功できるという確信は持ってませんでしたし、今でも不安でいっぱいです。それでも人の出会いやワイン、料理。音楽の出会いを楽しめています。

僕の人生がこれからどうなるかは自分次第だけど、革命バンザイ Viva La revolutionの気持ちは変わらずにいたいな。

何かを始めたり、辞めたりするには大きな体力を要するけど、それを続ける忍耐力は備えてきた。その力を自分だけじゃなくて、仲間=スタッフ。そしてお客様にも伝えて、一人じゃできないことをしたい。

フェスに出るなら、主催したいしね。

いつか、僕がもっともっと年を重ねて、色んな人と関わったことが重なっている何かが自分にあればいいなって思います。

嫌なこともあるし、スタッフだってあるだろう。でも自分のお店である、自分が作ったお店であるということが一番の誇り。

13年間、okeiをどこかで知ってくれてありがとうございました。

僕は幸せだって自信を持って言えます。

 

 

シンプルなキモチ

中田とお店を出した時。29歳。
僕には何にも能力もなくて、ワインも赤白5本ずつ。
ワインのコメントもネットから拾ったもの。
それでもお客様に一生懸命説明するため、調べたり、朝まで中田とリストインしているワインを
順番に飲みまくったり。
辛いの?これ!とか言いながら笑。

毎日毎日、朝の4時ころから片付けで大体6時とか8時とかになって。。。
もちろん僕には家もなくて、そのまま床でダウン来て寝ていた。
お風呂はないから店の食器用洗剤を使って。。

そんな話をこの時期に思い出す。

週に何回か姉貴が来て、洗濯物をしてくれたなーとか。

その後、今の会計士の会社に出会い、色々と相談していると
自分が歩んできた道が会計士の考えと合致するところが多いことも分かった。

中小企業は最初は休みもないしお金もない。
自分の全てを費やし、何とかやっていける。
そこから少しずつ利益が出て給与というか、お金が少し残る。
スタッフに給与が払えたりアップ出来たり。
そうしてやっと自分にも残ったりする利益。
その後、少し休めるようになったりする。

okeiもそんな風に少しずつ良くなってる会社。
大きな問題を抱えたりもするけど。

今、自分が悩むのは、これから。
スタッフの人数も増え、やりがいや気持ち。
そういうものを全て叶えてあげたいけど、すぐに出来ないこともあり。

これからのokeiというものをどうやって行くのがいいのか。
どうやって3つのお店の気持ちを1つにしたり、互いを高めあい助けあい、愛し合えるのか。

いつか読んだ本でこんなことが書いてあった。

あるコンサルタントのヒトのコトバ。

私は何百万社の依頼でコンサルタントをしてきたが、
社員教育にお金をかけすぎて潰れた会社を一つも見たことがない。

その言葉を聞いてから、見てから、
いい本があれば皆に1冊ずつ買ってきたし、イタリアにも行った。
また伝えたい本があれば買うし、何とかイタリア、海外に行かせてあげたいと思っている。

この気持ちは、シンプルでただただ、自分がいる場所を温かくしたくて、愛情を注ぎたくて
okeiにいる仲間が楽しそうにしてくれたらそれが幸せだってこと。

音楽を聴いているとその気持ちがそこにあったりして
あーこれだなーと思ったりする。

2019年。
okei最大の変革の年かもしれないけど、
その変革に挑む仲間を大切にしたい。
ココロから愛したいと思う。