okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

勇気

今の夢は何ですか。

そう聞かれることがある。業界紙の取材やコメントを求められるときもそう。

営業中に次は何したいの?とか。

その場しのぎをしてしまっている時期もあるけれど、今は色々と環境が変わった。

スタッフの自主性というものが文化になりつつある。

8周年くらいから地味に考えて、伝えてきたこと。

すぐにはできないと思ったから20周年までに形にしたいなーって思って。

もちろん、リスクもある。無駄な経費が増えたり、意味のない事もあるかもしれない。

そもそも、成功するとか結果が出ることが決まっていることだけ出来たら世話ない。

自分が一番失敗してきている。毎日毎日。こうして居る今も失敗をしている。

自分が出来ないことは教えられないけど、その環境は作れる。

常にそう思っていていて、それが上手くいったりいかなかったり。

時間をかけて作られるものを大切にしなければいけない。

人間関係。お店の空気。イメージや思想。

色んなものは急激には難しい。

今、okeiというお店はまた成長できるかどうかの瀬戸際である。

ただ、各店舗がオリジナリティある思いややりたいことを具現化しつつある。

viva!okeiが土曜日営業を始めたのもその一つだし、その1発目にキャンドルさなえとのコラボでにぎわったのも嬉しかった。

目に見えないことでも皆いろんなことを悩み苦しんでる、それがとっても新鮮だったり、気分良かったりする。

コロナでお店や会社は大変だけど、コロナ時間は有意義に未来に向かわなければならないから。

何のために生きているのかわからなくなるよって誰だっけ、尾崎豊かな?

そんなときもあったけど、何かわかってきたなー

 

自分だけのためには生きれない。

自分が満足でも周りがオレンジ色じゃないなら嫌だ。

家族がokeiというお店や僕を誇りに思えて、

スタッフが胸を張って名刺を出せる事。

OKEIのお客様がokeiを楽しそうに使ってくれること。

そのためにやれるだけ自分が力を注ぐこと。

新しい事を考え、実行することを惜しまず。

勇気を持つこと。

それが今の自分がしたいことかな。

新しいお店もやるけど、不安。

今自分がやろうとすると自分がベタで入れるわけでもなく、

いいお店を考えて作ることが必要だから。

でも、それにチャレンジしているんだからワクワクする。

やれることじゃなくて、やりたいことのために努力する!

そういう道を作っていきます。

 

コロナ時間と独立店舗への応援

日本中、いや世界中にコロナコロナコロナ。

BEERの名前だったのに今では新型コロナウィルスになってしまった。

okeiというお店にとっても多くの企業にとって大打撃ですね。、、マジです。

正直、こんなに厳しい状況が見え隠れしているのは不安でしょうがない。

何か、ふわーっとしてしまい、色々と手につかないというか、

いい判断や良い決断ができない日々が今ある。

少し切り替えていかなきゃいけない!と今、心に誓った。

僕は今の時間をコロナ時間と決めた。

お店を出すタイミングで色々とある。

工事やら考え事。決断。作業も沢山ある。

その中で営業にも出てきた15年だったが、今はコロナの影響で

お店が余裕があり、お店も減ったからスタッフが過剰にいる。

そんな偶然が重なり、苦しい時期、お店として売上が減少し、危機でしかない状況なのだが、これはもうコロナ時間として利用するしかない。

そう思った。

①自分の店を客観的にみるよう少しお客様になってみた。また、営業中に全店舗回れることで色んなお客様と話せた。

②スタッフを営業時間中に、研修として飲みに行かせてこれからのokeiの生かすように。

③新しいチェレンジを開始。酒屋の準備をしている。←女性スタッフの未来を考えている。

④名刺デザインを一新し、団結力が出るように。

⑤HPを一新。

特に、新しいチャレンジを皆ができるよう、もしくはこういう危機により、アイディアを出し合い、お客様が来てくれるには、売上を上げるには!と各店舗が勝手に考え出している。

なんか、そういう気持になってもらえることが嬉しいし、そのステージを作れたことが15年だなーって思っている。

このコロナ時間を2020年のキーワードとして年末にこの時間が有効だった!と言えるようにしたいと思う。

また、okeiもそうだが、okeiから独立したお店も影響が少なくないと思う。僕も含めすべてが個人事業主。僕はいろんな家族を抱えている危機、独立店舗は自分たちが不安になる危機。

ここにその名前を記して、少しでも誰かが行ってくれることを願う。

みんなで頑張ろう。

・PIZZERIA BAR イプシロン(徳島) 

・トラットリア Nakata(東京 高輪台

・ワイン処オアジ(東京 水道橋)

・築地アンスリール(東京 築地)

・TRUNK(東京 目黒)

・FRANK(埼玉 北越谷)

・ラッテリア BEBE(神奈川 鎌倉)

NIDO(東京 大井町

・トリッペリア ミア(東京 神田)

・La Perche(埼玉 北浦和

海外研修のススメ

昨日からスタッフ3名が南フランスの作り手 ドメーヌバサックへの海外研修に行っている。作り手の自宅やワイナリーで過ごしたり、その土地をじっくり味わえるいい機会になればいいなーと思っている。

2016年にイタリアに全員13名で研修に初めて行った。10日間ほどお店を休み、まー大胆ではありましたが、初海外の僕としてもとても楽しくワインへの想いを強くなりました。スタッフにとっても刺激になり、また行きたい!そんな気持ちが残ったまま、時間が過ぎていました。

社内では研修は続けていく!と明言していたのがこうして現実になっていく組織であることは誇りに思っています

今現在は、チーム分けしてお店を出来るだけ休まずに海外研修に行くことを目標にしている。2019年9月に3人が北イタリア研修へ。これはVivaokeiを1週間休んだ。

10月に1名がピッツァワールドカップ日本代表に選ばれたので、研修として行ってもらった。こちらはお店を休まずに参加できた。

そして今回は、3名での研修であるが、お店を休まず行っている。

スタッフ全員、アルバイトやサポートメンバーも踏まえてお店品質を下げないようお客様を迎えようと準備している。

さて、僕がこうして海外研修へ精力的なのには強い思いがある。

僕は2016年まで、海外に行ったことがなかった。それは大した理由はなく何となく、そこまでしていく気がなかった。

友人M坂氏から以前「10回国内旅行行くなら、1回海外旅行に行った方がいい」

そういわれたのがずっと心にあった。

そして思い切ってそうしてみて、やはり何かワクワクする人生になったような気がする。

そのワクワクは、お店をやりたい!こんなお店にしたい!って思いついたときの様な躍動感だったような気がします。

そして、心と頭と色々ぐちゃぐちゃ考えていて、結論が出て来ていた。

ずっと自己負担なく、仕事としてしっかりと海外へ行ける組織にすること。

飲食という世界で長期休暇が望めない。仕事を辞めないと海外へ行けない。

その風土を崩したい。いや無くしたい、いやokeiだけでもいいからなくす。

そう決めた。

そうするといろんなものが見えてきた。スタッフも変わった。

海外から帰ったものが、次に行く時の話をしている。

お客様への対応も違う。何かを伝えたい顔をしたりする。

困ったこと、大変だった旅行のことを楽しそうに話す。

そして今年。

トラットリアオケイがなくなり、okeyという会社は赤字体質になっている。

4つが3つのお店になった、しかも売上としては巨大な1店舗だったため、売上は半分になった。スタッフはほぼ変わらない人数。

そりゃ、赤字になる。

悩み悩み、今年の売り上げや目標設定をした。

目標はトントン売上までもっていくという設定。

それは今までよりも各店舗が頑張る話になり、スタッフとしては労力が多くなる手段だった。その中でもできるだけかからないように作った、渾身の設定だった。

もちろん休みも変えず、減らさないもの。

何より、今まで通り、ボーナス2回(給与1か月分×2回)を確約した。15年目になるが、1度も支給しなかったことがないので、それを継続することを明言した。

たとえ赤字でも支給すると。

だから、みんなが各店舗、すげーよくするように考えて悩んで行動してほしい。

まずは会社のことなんて気にしなくていいから、目の前のお客さまとスタッフを大切に考えてほしいと。

個の店、1つ1つのお店が力を付けて、それが集まったのが会社っていうイメージ。

少し公平でないところが出るかもしれない。

それは後で調整していく必要が出ればする。だから今は底を考えないでほしいと。

 

海外旅行、研修という名の夢。

それを考えていくとこうして仲間を考えたり、夢を語れたりするようになった。

そして何よりスタッフが生き生きとしている。

okeiという中で楽しそうにしてくれる。

僕は儲からなければならないのはわかっている。

でもやりたいこと、トライしたいこと。

それはどうしてもやりたい。

自分が今失うものがあっても、自分の組織であり仲間であるスタッフが楽しそうにしてくれることが自分の一番の喜びである。

そしてこの研修は続けなければ意味がない。ただの旅行になってしまう。

ただ一つ、スタッフへの条件は本を作ること。

今3冊になったこの海外研修本が10冊20冊になり、並んでいたら何が起こっているだろうか。

何か国にいったのか。ワクワクしかない。

今は僕が決めている場所ややることを、皆が考えているんじゃないかとか。

海外に何かokeiがあったりして?

ニヤニヤが止まらないんだ。

夢のような話だが、必ずできると思っている。

BORN TO RUN

新年を迎え、新たな気分。

昨年でトラットリアokeiが閉店し、3つのお店に変わった。

新たな一歩を踏み出した2002年。

3月に小さな小さな、そういえば今まで出したお店の中で一番小さいお店となるお店が新橋烏森神社近くに誕生する。

今は、少し人が余っている状態になっているが、それを生かして下地作りを出来たらいいなと思っている。

ただ、一番の問題は売り上げが半分になってしまう状況(トラットリアオケイの席数が多かったため、他ではカバーできない)なので、

どうしても赤字になってしまうかもしれない。

他店がどれだけ頑張れるかで変わってくる。

そういう意味でこの数か月の損失は大きく、これを将来に生かすことが出来なければ

元も子もない。

こういう現実もまた、新しいokeiの始まりにはお似合いかなーと思って書いてみた。

数店舗経営する中で一番大変なのがヒトだという。誰しも人が多くなれば問題も増えるということだ。

それが嫌だから複数店舗出さない人もいる。

僕の場合は、それは当たり前というか、飲食で独立しなくたってそういうものだと確信しているから、自分がやりたいことを止めることでもない。

しょうがないこと。

それよりも、お客様が来ない店をやってもしょうがないし、継続していても意味がない。そう思っている。

そのために人が必要で人に対しての感謝はおのずと思うものだ。

今、勝負というか恐怖というか。そんな2002年の始まりだけど、

終わった時に、12月に、形が出来ていたら本当に嬉しい。

将来に向けてもとても大きなチャレンジをしていく事になるから。

・4つ目のオープン。

・片寄が店舗に収まらず、各店がしっかり独立して経営できる体制づくり。

・海外研修の継続

・自慢できる会社組織体制や規則の向上

・各店舗黒字へのCHALLENGE

・経営者の創出

・再度ソムリエ試験チャレンジ

・経営計画書の作成

・酒屋になる。

全て企業としてトライしたいこと。

それ以外は個人で色々とあるがそれはまた。

最後に

本当に思うのはスタッフの意識向上というと、何となく軽いが・・・

僕は出来るだけスタッフが頑張れる組織を作っていく。

だから、その中で迷わずスタッフが躍動してほしいし、

立ち向かって成果を出してほしい。

皆で悩んで困って、解決してほしい。

それができるかできないか。

その先に、僕らの未来がある。

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BORN TO RUN

そんな気分だ。

 

 

閉店が生んだもの

本日13時にokeiというお店が誕生したときのビルとの契約を解除し、

鍵を返しました。

これで当たり前のようにあの場所に入れることはなくなり、本当になくなってしまった。

このブログを何度も書いた場所だし、僕の30代をすべて過ごした場所。

本当に感謝しかありません。

中田から始まり、多くのスタッフがあそこで時間を過ごしてくれました。

大掃除や引っ越しをして思わぬ写真や動画などが見つかり、またセンチな気分になってます。

お店というものが何なのかがこの1か月くらいでまた明確になってきました。

自分の空間だったものが自分だけの空間ではなくなること。

そして命を宿し、いつしか多くの人の心の中に確実に備わっていくもの。

自分の店がそうなっていたことに当たり前のように過ごす毎日ではまだまだ気づいていませんでした。

そういう意味で本当にこの閉店というものが教えてくれた事実は大きい。

僕は29歳で独立してから44歳。

人としても多少は成長しただろうし、キモチも違う。

だからこそ、今だからこそわかる、独立したときの躍動感や気持ちの強さ。

そして毎日ファイトする気持ちが強かった。

今ももちろんあるが雰囲気が違う。

そういう意味であの場所がなくなる今がまた成長すべき時だと思っています。

昔の映像を見ていてふーみんが号泣しているところを見た。

現在ワイン処アオジを経営するふーみん。

彼女が号泣していたのは中田の送別会。

200人近くんの方が集まり、最後に僕と中田で歌を歌ってる中でもうこれでもかっていうくらい泣いていた。

彼女と中田の関係は特別。

中田にとっても彼女にとっても最後の師弟関係と言えるのだ。

だから中田と話していても必ずふーみんの話が出る。

ふーみんも完全に崇拝している。

正直この2名の間に僕はさほど関係ない笑

そういう関係がこの14年間の中でいくつか肌で感じる。

僕なんか関係なく、人生を震わせる仲間がそれぞれに出来てる、

それはスタッフだけじゃなくて、お客様同士もそうで。

本当に自分が生きていて、こんなに人と人が合わさり、

人生を変えるくらいな出会いが無数にあった店であることは

本当に誇れる事実。

これからあのビルが無くなり、新しいお店や新しい空間、スタッフが

躍動していくことになる。

僕の人生もここで岐路に差し掛かっているだろう。

でも不思議と前に一歩ずつ進めていると思っている。

失敗もするだろうし、誰かを傷つけることもあるだろう。

でもまた始めることも出来るだろうし、謝ることも出来る。

ありがとうって本気でいうことも出来る。

だから大丈夫だと思う。

お店をやるって本当に大変だなって感じていますが

それ以上に夢や希望が溢れています。

若いスタッフとの会話も楽しいし。

僕ももっともっと成長できる具体的なことを2020年、実行し必ず成果を出します。

これからも片寄雄啓をよろしくお願いします

刺激あるドラマ グランメゾン東京

飲食をやっている人はかなり見てるんじゃないかな。

グランメゾン東京。

以前も書いたんですが、僕もその一人。

理想と現実はかなり違うと思う、飲食。

とはいえ、ビジネスマンというかサラリーマンも経験した自分としては

何の仕事でもその辺りはあると思うので同じかなと。

求人はどこもしているし、

どちらかというと市場は人の取り合い。

そこは数年間変わらないところ。

今では、条件や待遇がメインで、やりたいことすらそれでぶれていくような。

そんな飲食の流れがある。

グランメゾン東京はその辺りは少し置いといて、

ハートややりがいややりたいこと。それが働きたいベースに見え隠れして

本当にドキドキする。

それは

 

こんな気持ちや心で皆いてほしい!

 

そんなキモチかな。

いろんな言葉が突き刺さるというか

一生懸命お店に取り組んでいるオーナーやスタッフであれば

同じ悩みや壁が常にあるので、そこと全てがリンクしてしまうのだろうと思う。

今回の内容には全く関係ないのだが、ワイナリー見学に行っているキムタクたちのところで、気づかされたことがある。

ワイナリーに貼っている、日本一のワインを作るだったか、世界一のワインを作る!だったか、そんな張り紙があった。

受験生が東大合格!って書くようなものだと思う。

自分のお店には自分やスタッフのコラムがある。

スタッフがどんな気持ちでそれを書いているのか。不安なこともある。

自分とは違うから。

ただ、そこはまず、書くということを重きを置いているから問題ない。

書くということは意思だ。

そういう意味でどんな店になりたいのか。

そういう張り紙をしてみようと今日感じた。

おけい屋では日本ワイン専門店ですと短冊を掲げている。

まさにそういうニュアンスで書いた。

そこをもっと掘り下げていけばまた光がありそうだ。

 

有言実行

言えば真

リーディングダイエットの如く、何かに書くということは

それだけそれに責任を持つということになる。

ドラマからいろんなヒントをもらえている。

 

ココロが洗われるときもあり、先週なんて先週は泣いてしまったかな。

 

いい店作りたい。

 

14thパーティを終えて

14周年partyが終わり、1日1日時間が経つたびに

皆さんの顔が思い出されて幸せになる。

432人。

とてつもない人数が1つのお店のパーティに来てくれた。

本当にありがとうございます。

沢山くればいいというもんではない。

ただ、あの場所にいた人ならわかるだろう。

全ての人が笑顔で昔話や近況報告。そして何よりもokeiというお店の誕生と継続を

心からお祝いしてくれている人たちばかりだった。

14年間、あのパーティを継続してきて本当によかったなあーとずっと思っていた。

自分が毎日同じ場所にいる14年間じゃなかった。

店舗が増え、人が増え、お客様が増えた。

14年間続けているパーティを運営してくれているスタッフは毎年少しずつ変化している。

同じスタッフがやるならまだしも、違うスタッフが毎回行うパーティ。

温度を埋めるのが難しい。それを補ってくれるのが

多くのお客様からの声。

楽しみにしている声、昔話をしながらその日を待つ声。

それによりウキウキワクワクしてくる新しいスタッフ。

そして、その仲間たちは当たり前のように準備を進めていく。

数百人くる長時間のパーティを仕切れる人は少ない。

それがokeiというお店では当たり前のようにお客様主体で考えが進んでいく。

その奇跡がとてつもなく思いとしてある。

 

飲食店としてやっているパーティなのか。

そうじゃない気がしてきた。

僕はずーと言ってきたことがある。

とにかく、自分が作った空間に入ってきた人が少しでも幸せになる空間を作りたい。

そのために美味しい料理とワイン、そして人が必要なんだと。

 

ライブが行われ、時には踊りだす。BGMを知らない人と肩を組んで歌う空間。

来れなかった人には到底想像もつかない、愛情いっぱいの空間だった。

今年だけじゃなくてね

 

そして今年、昔からの仲間は少なかった。もちろんそれは悪い事ではない。

先輩方は遠慮してくれたり、もうぐっちゃぐちゃが疲れたり笑。

それ以外に来てくれたりする。

それよりも14年間で僕らを支えてくれたお客様で埋まっていたのだ。

ほとんどがそうだった。

そういう意味では今のスタッフを中心に、今までの卒業生含め多くのスタッフの力により、積み重ねられたお客様が一気に集まってくれたということになる。

 

それは本当にありがたく、スタッフにとっても嬉しい出来事だった。

 

忘れずにいたい。

この感覚。

なぜ飲食業に入ったのか。何をしたいのか。

スタッフとともに成し遂げたいことは何なのか。

 

全員なんて無理かもしれないけど、

自分と出逢った方々が少しでも幸せになる人生でいたい。

okeiであれおけい屋であれ、片寄雄啓自身であれ。

 

14周年を楽しむみんなの顔をみてひしひしと感じていた感覚だ。

1つの区切りを迎えた。来年2020年。

okeiから小さなお店を誕生させます。

名前もまだありません。

烏森神社の近く、雑居ビル2階です。

自分がPizzeria Bar okeiを出した時と同じ感覚。

もっと小さい。

でも、肥大化したokeiという組織を集中力を高め、

お客様の楽しさを増大したい。

行きたくなる店、会いたくなる人。食べたくなる料理。食材。

そして飲みたくなるワインやビール。

僕はこれから旅立つ感じかな。

今年のTシャツのバックには

never go back

と刻んだ。

過去は振り返らない。

前進あるのみ。

原点回帰の店から先に進む。

着実に 大胆に。

自分ができる事だけじゃ足りない。

出来ないことも沢山チャレンジしていく。

そんな自分になります。