okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

7周年パーティを終えて

pizzeria-okei2012-12-10


8日にokei7周年パーティが行われた。
沢山の方々がこの新橋の土曜日のokeiに来てくれた。
本当に感動的だった。

毎年やっているから・・・と言われる。
でも違うんだ。毎年多くのことが起きて、毎年僕なりに戦っている。
それは、【この日】があるからできるチャレンジでもある。

この日を目指して、生きている。
そういえる日。

前半は、子供たちとアンパンマンピッツァを一緒に焼いたり、お祭りのように
綿菓子を一緒に作ったり、お面をかぶったり、ピッツァの窯のタイルを張ったり。
今までにないイベントにしてみた。

あるお子さんが次の日に「またピザやさんのお祭りに行きたい」と言ってくれたそうだ。
それだけで僕がいる意味があった。

18時以降は大人のパーティ。
飲めや騒げやだった。いつも通りか。
でも、これだけ多くの社員と行うパーティはなく、周年パーティを経験してるスタッフは
ほとんどいなかった。どういう感じかも言葉で伝えてきたが、当日まで不安だった。

彼らはやりきった。
新しいお客様と触れ合いながら、知らない人ともしっかりとコミュニケーションして。

僕は誰が辞めてしまっても、今の残っているメンバー、新しいメンバーが一番だと言い続けてきた。
決して前はよかったとは言ったことはない。

それは特に中田が辞めた時から一層深まった。
彼を追うことはできなかったから。

そして桃木(友人)が僕に言った
「悲しいけど。okeiはお前しかいないと知ったよ。悔しい。でも頑張れ」

あの中華での一言を僕は忘れていない。
これを書きながら泣きそうというか泣いているが・・・。

あの時に、相当数の孤独感を僕が襲い、何にも守れない自分を想像してキツカッタ。
でも、スティージョブズが言った「人は失わないと得られない」

僕もこの失った事で、多くの物も得た。
アイアイも大きくなった。フーミンも大きくなった。
多くの仲間を集める努力をして、また失いながらも、今に至る。

桃木の言葉が全て。
僕がokeiだ。

でもそれはあの日から変化し、またokeiという枠をしっかり持てた仲間も増えた。
辞めてしまってもその枠をしっかりと想ってくれる人もいることでより強固になった。

彼らを思い、辞めていった先輩たちを思い、後輩たちは一生懸命戦い、
周年パーティで サフランの花火 を歌った。

自分たちも仲間たちとともに夢を語りたい。叶えたいと。叫んだのだ。

今まで僕がこのパーティで歌ってきたのはただ好きな曲を少しでもうまく歌おうとしてきた。
僕はアーティストではないが、大道芸人としてかな。
今年は、違う。

この意味をしっかりと話したくて十分に歌う前にみんなに説明をした。
なぜこの曲なのかを。
一語一句気持ちを伝えたかった。

そんな周年パーティだった。

僕はつぶれてしまった。
でも、今までしてきた周年パーティと違ったのは背負ったものの大きさだった。
28名のokeiで働いてきた仲間たちの今とこれから。
そして、今のスタッフへの責任。

どんな方法を使っても示さなければならない。
卒業生の気持ちと今のスタッフの気持ちを。

今日、スタッフに伝えた 来年の僕の目標を。
「来年もこのスタッフで8周年パーティをしたい」
それが目標だ。

それにかかわる努力を皆でしたいし、そこまでみんな頑張ってほしいと。

言葉も交わさずに、抱き合えれば。
それだけでいいから。