okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

協同広告と神大とすべての仲間へ

2004年4月末日。
僕は協同広告をやめた、7年目だった。

5月30日
何度もやってもらった送別会のファイナルだった。
サプライズで行われ、80人くらいの方々が来てくれていた。
主催者は協同広告の先輩 滝沢直美。

小中高大、サザン、サッカー、協同広告 その他僕のすべての仲間と家族がそこに集っていた。

品川のそのお店はwe are okei という僕のあだ名を書いたポスターが100枚以上張られていた。

えっと思う人たちがいた。
その日にokeiというお店を出すことが決まった。

当初は居酒屋の気持ちだった。
結局イタリアンだったけど。

あの日がなけ江波僕はなかった
人生そのものが全く違ったはず。
もちろん違っても生きてはいく。
でも違った。

今の景色ではなかった。

人に歴史あり。
どんな人にも歴史があり、それを否定はできない。
なぜならそれしかないから。

僕には代理店営業マンという職業があった。
天職とも言われた。
僕もそう思っていた。

でもそれを手放さなければ得られない今もあった。

okeiというお店で出会った仲間たち、スタッフ。
そして支えてくれているお客様。
いや、知り合いであったけど、お店を出して深くなった人もいる。

okeiというものに今は支えられている。

まるで子供が大きくなり、親を支えるように。

今、その母体をグッと変えようとしている。
いろいろあると思う。

でも、あの場にいた人に10年間変わらなかったことと
変わったこと、変えていくことを声高らかに言わなければいけない。
それは止まってはいけないから。

先は自分から進んでいかなきゃ見えない。
間違いだったらひき戻るさ。
それでいい。

今日この日は[決断]の日。
いつもこの日に力をもらう。

あの場所にいてくれた仲間や先輩、家族へ。

本当にありがとう。
あの時、ただの営業マンでお店をやるって言っているだけなのに
無償の愛情で多くの力をくれてありがとう。
2年間の修業時代、たくさんごちそうしてくれてありがとう。
僕が携帯を発信しなくてもいいようにしてくれてありがとう

この日があるから今があります
絶対に忘れない。