okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

気持ちが伝わるには、思いもよらないこともある

少しお店のことから外れてみる。

実はいつもこのブログを書こうとログインしてパソコンに向かうまで
何を書くか決まっていない。

今お店のことから外れてみると思って書いたが、全く関係ない事はあまりないかもしれない。
うーん。

やみくもだが、今ベイスターズが強くなっているのを知った。
僕が協同広告入社当時、大魔神 佐々木が大活躍し、日本一になった。

当時、チケットが全く取れず、オークションなんて言うのもあまりなかったので
困っていた先輩がいた。
クライアントに頼まれたが取れないと。・。

新人の僕ではあったが、少し首を突っ込んでみた。
「僕も探してみましょうか」

お願いと言われたが、誰も期待してなかった。

しかし、2日後、チケットが僕は取れた。
しかも後で知ることになる、日本一決定の日の内野席。

母が選手と知り合いだったから。
そのクライアントさんにはずっと辞めてからも良くしてくださり、
営業冥利に尽きるなーと言いながら、ただ単にチケットを取れただけだった。

その後、別のクライアントさんとのこと。
商品ごとに担当が決まっていた協同広告で、自分とは商品の違うクライアントに
とても良くしてもらった。

実は、一度も仕事をしたことないのに
「いやー片寄君は実に仕事が早い。とても成長した」
そんな風に言われていつも気分はよかったのだが
冷静に考えると一度もない。

僕は飲み会の仕切りや、コンサートやスポーツ観戦。
その他、クライアントさんと遊んだり飲んだりする時の
仕切りや管理をしていた。

それを見ていて、仕事ができると言ってくれた。

僕は絶対この人とは仕事をしたく無いなーと思っていた。
だって評価が下がるかもしれないから笑
もちろんちゃんと仕事をしていたのだが、
こうして全く違うことで評価されてきた人間でもある。

違うことであっても、共に同じ空間や環境、時代を生きた人に
何らかの形で認めてもらえるということは
とてもうれしかった。

僕にとってそれが何かのリトマス試験紙になっただろうし、
人とのかかわり方を勉強した時期でもあるから。

今、部下を飲みに誘うだけでもセクハラやらパワハラなど、いろいろおびえて仕事をする人もいるという。
もちろん気にしすぎの人は、なんか今まであったのかもしれないけど。

部下を守るためにということだろうが、
一方で、部下が仕事以外で先輩やらと話す機会が無駄にあることは
とてもいいことだし、ひいては仕事以外のところで評価される機会を失っている状況でもあるのではないかなーと思う。

一義的な考えはよくないから難しいが、
雇用の守り方というか、本質はそこではない気がする。

人の守り方は無数で、自分も一生悩み続けることだと思う