okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

誓った日になりました

生きていれば色んなことがある。
まだ42年間であるが僕なりに色んなことを経験してきた。

もう嫌だ。
そう思って蓋をしてきたものもあるし、チャレンジしているという言葉で実は逃げていることもある、今も。

世界の1番前で60年間、歌い続けている人と昨日再開した、
中学2年生の時、チケットぴあに並びチケットを取って初めて行った時から、4回目。
自分の年齢も少し重ね、彼を見ていると一番感動というか、何というか。

39曲かな、沢山の曲をやりながら、聞きながら、ほぼすべての曲を口ずさめるのだが、
同時にその歌詞やステージよりも何よりも、彼がそこにたたずみ、
60年間、同じ曲を奏でつつ、伝えつつ、楽しみつつ。新しい事へチャレンジを忘れず、
死んだ同士や、今の奥さんへの愛情。
世界のファンへの感謝と、ロックという言葉で自分を置き換えつつ。

恥ずかしげもなく、ビートルズという言葉を出して、まだ生きるビートルズのもう一人の曲 リンゴスターのようにふるまい。

ステージを走る74歳を見ていて自分の今を俯瞰してみて、苦しくなった。

何を悩んでるんだろうか。
まだまだまだまだまだまだまだ何もしていないじゃないかと。

まだ、Love me do が始まったばかりだと痛感した。

ジョンがいないharddaysnightで始まった。
ポールがいる場所は違うけどそれを楽しむ。
そこには若い彼を支える仲間がいて、信頼関係が見えた。

自分が今オケイというビートルズに所属し、
メンバーは変われど、多くの方々が見てくれているステージがある。

休止したり、拡大したり。
思想が変わったり。

Partnerが変化しながらも、曲やアルバムが変わるようにサービスや料理が変わっても
オケイがそこにあって、いて。

その間にまた昔を思い出すタイミングがあったり。

bandontherunで緩んだ涙腺が、名曲たちで溢れ出した。

久々の感覚

僕には音楽が必要だ。
人生やお店を語る、考えるうえでとても重要だ。

同じを事を続けられること。
忘れない事。

僕はokeiをやめない。
どんな形でも辞めないでいる。

そう、強く誓った日になった。