okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

協同広告株式会社育ちであること。

久々にこのブログを書く。書くまでもなく、生涯でもかなりぐっとくる日々ですね。

これからどうなるかはわかりませんが、このコロナの自粛期間。たくさんの方に心配してもらいました。

ちょうど今日も、大好きな常連さん数〇夫妻から広告のピーライトの本を頂きました。ただただ、SNSでのアップされていたことへ反応しちゃった自分だったのですが。

すごい嬉しかったですよ、実際。なんにしても自分のことを気を使ってくれる人がいるってことだけで。他愛もない話を少しお客様とできることもそうですし。

ふと気づくとそうやって昔からの仲間と言ってしまうと申し訳ない先輩も多いですが、そういうずっと支えてくれている方々がやはり今も支えてくれる。

お客様の中でも「タイト」な関係の方々が思ってもみないような手を差し伸べてくれる。

僕は協同広告という会社にいました。サラリーマンとしてはそこだけなので自分は協同出身ってよく言いますし、協同生まれとも思っています。

今はもうない会社ですが、このコロナというものがまたまた15年以上前に退社した会社の先輩が毎日毎日来てくれたり、連絡くれたり、通販を頼んでくれたり。

お手紙もくるし、電話も来る。なんなんだろう、あの会社はって。

そう思ってしまうくらい支えてくれる。

資金としても僕は協同広告の先輩や家族、同級生に借りた。

資金だけではなく、こうした苦しい時でも支えてくれるのが協同広告の人や昔からの常連さんや仲間。その空気間を作ってくれるのが仲間の人たちなんだと思う。

7年目で辞めた自分に対して15年後もサポートしようとする人がいる会社って何でつぶれたんだろうって思っちゃう。

しかもそれが一人じゃなくて、数えきれないくらい。

何だったらこれを機にまた連絡を取り合えるようになった人がいるくらい。

奥様に初めて会ったり、ワンちゃんを連れてきてくれたり。

コロナがあったから初めてできたこともあった。

それが飲食の前に働いていた会社の人たちがいること。

多分そういう気持ちが、このお店の空気を作ってくれて。

数〇さんや宮〇さん、モッ〇ー、石〇さん、〇松さんたちの〇テレさん、吉〇さん、ひ〇みさん、とか、み〇さん、わー言いきれなくてすいません。

ただ言いたいのは絆みたいなものとか、口々に言ってくれるのが

片寄さんにはお世話になってるから

 

なにをしたんだー!っていうくらいただの店員なんですけど・・・。

でも何か響いたことがあるならうれしいです。

 

でもそんなことが伝わっているのも協同の先輩たちの無償の愛情のおかげです。

それを受けた自分が何かできたんだと思います。

コロナがあって、もし自分が笑っていられるなら本当にありがたいです。

その根底に大先輩の協同広告の先輩方の血があるんだろうなーって思っています。