okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

IRON HOUSE ノリの2号店 ペペロンチーノの衝撃

OKEIから独立したお店は12店舗。その中でノリが初めて2号店を出した。

目黒の権之助坂に面した、ビストロシンというスーパーすごかったお店の跡地。

トランクというお店を出したのが6年くらい前か。見た目に寄らず、慎重派である彼がIRON HOUSEというまたカッコイーお店を出したのでしたーーー。

18時オープンというから18時過ぎに行ったらパンパン、その後も全く途切れず・・・。

いつもはカジュアルな店でも今日だけはお祝い!という感じで、7万以上するワインもパンパン出ていたなー。

その話はあまりどうでもいいのです。

書きたいことが沢山あるから笑

今そのお店でシェフをやっているのが鈴木ノイ。

これまたオケイで料理人をやっていた。25歳から数年。まーやんちゃ時期なので、僕とも衝突したり、逃げたり笑みんなで追いかけたりして。

トランクに入社してからもそんなこともあったらしいが、とても男前の顔になっていた。今ではトランクと新店を束ねるシェフとなり、各店舗に料理人を置いて、部下を育てる立場にもなったみたい。

彼にパスタをオーダーした。何でもいいから作ってって。

そして出てきたのが、まさかのペペロンチーノ。

マスクをしていたからバレてなかったんだけど、泣いちゃった。

石丸の下にいたときによくペペロンチーノを作らされてはいろいろ言われていたっけ。

色々あったからこそ、可愛くってね。弟みたい。

そんな彼がここぞっていう時に出したのがこれだったからさ。

ノリがノイに(ややこしい)店を任せている風景も美しかった。

全く違うがブルーハーツヒロトマーシーとは言わないけど、なんか熱々な感じ。

何のためにお店をやるのか。なんでやるのか。

とても楽しそうに働く人たちを見て、僕も色んなことを見直したくなった。

今が悪いとは思っていないから、もっと楽しくするにはどうしたらいいかなーとか。

もっとやっていこうと思ったなー

ノリが25歳、僕が28歳で出会った。

最初は僕が飲食を経験がなかったから、彼に教えてもらったこともある。

沢山話して、話してね、五日お店を一緒にやろうかーなんて話をした。

長野でピッツァ修行に行った僕の後に、自分もやってみたい!と僕と入れ替わりで入ったノリ。毎日とは言わないが、かなりやられていて、沢山泣き言電話がかかってきた。

その後、カフェのイリ―で働いてマネージャーをやっていた。

そしてオケイ7年目にPIZZERIA TERZO OKEIのオープンが決まったころ。

ノリに電話したんだよねー、一緒にやろーって言っていたこと覚えてるって。

そしたら、年収が200万くらい下がるのに来てくれた。

そこでノイ(ややこしい)と一緒に働いたりしていたなー。

いいお店には理由がある、いいお店も悪くなっちゃう場合もあるだろう。

僕もそうやって色々失敗してきた。

ノリはSNSとかを駆使しない。今はスタッフがインスタとかをやっているみたいだが、基本はあまりやらない。それでも目黒であれだけのお店を出せるんだなーって思うと、参考になることもある。みんな笑顔で楽しそうで。

ノリらしいカッコイイお店の雰囲気があるし。お店をやるってやっぱり楽しい。

あんなに美味しいペペロンチーノは初めてだった。