okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

2021年の動き

新年が明けて、緊急事態宣言かとか、色んなことがまた始まるのかなーって考えちゃうけど、その不安や恐怖には慣れちゃいました。

売上は6000万下がり、6割ほどの売上。とてもとてもこのままではやばいなーなんて思うけど、止まることと続けたり、ポジティブにいくこと、すべてがリスクだし、怖い。

無数に考え方がある中で、自分が決めたのは、お店の拡大です。

これは前にも書いた内容だけど再度書いておきます。

okeyという会社(あ、会社名は最後がyです。なぜか?を知ってる人はコメントください、答え合わせします笑)は、ほぼ社員で継続してきました。

15年間でもちろんアルバイトもいましたが少ないです。社員希望のアルバイトとか、Ⓦワークだけどどうしても働きたいとか、そんな方がアルバイトで継続してくれました。

経費はアルバイトの比になりません。福利厚生もしっかりしているのが会社の誇りでした。これはずっとそうです。

すべて協同広告株式会社という僕のビジネスマンの頃からの教育の賜物です。

あの会社の基本が僕の基本だから。飲食の基本が僕の基本ではないからです。

社会人になって、アルバイトと過ごすことはありませんでした。ボーナスはありましたし、休みもありました(あ、ないときもあったなー)

だからどんな時もできる限りの待遇は社員に与えてきたし、アルバイトに関しては何を教えていいのか、何を望んでいるのかがわからなかったから、積極的に採用しませんでした。

そこでコロナになり、大打撃。これからを考えていく中で、一つの考えが生まれました。

10年以上勤務スタッフ、5年以上勤務スタッフが沢山いる会社です。

絆もあります。

1店舗ごとの人件費が半端ないokey.

これを解決していくには、1店舗の人件費を下げる=アルバイトを増やす。

そしてお店を増やして、店長やマネージメントを増やす。そしていつか、その店を社員にシェアしていく。事業譲渡です。

それに向かって突き進んでいきます。

まずは、勝どきに黒井の店を出します。これはワインバー的なワインラバーが寄り合う店です。彼の自宅のそばで出すことで譲渡に向かってまっしぐら。2月から3月にオープンします。

そして、西小山クラフトビレッジでピッツァとナチュラルワインのお店をオープンします。こちらはピッツェリアテルツォオケイの2号店としてオープンします。小倉君が管理していく店。

年内早めに石丸シェフの店もやるし、酒屋の拡大も行います。

また障害者施設としてグループホーム設立もしくは、日中支援を行います。グループホームにしたいのですが、どうしてもなかなか前に進まないので、まずは日中の支援からというのもありかなと。世の中では飽和している支援ですが、まだまだ余地があると見ています。これらについてはまた詳しく話したいなと。あ、話したらダメなのかな。考えよう。

新島とも連携して何かできないかなとか。

というように、全く止まらず、お金もかかります。

最終目的は何か。

OKEIに関わるスタッフが全員経営者になること。そしてそれを応援してくれる方々が幸せになること。幸せというのはお店が良くなるということだけではなく、そこに仕事が生まれるということ。

建築デザインも必要だし、酒屋も必要。不動産屋も旅行業界も何もかも僕には関係してくると思っています。仕事とか事業とかを一緒にやるって楽しいじゃないですか。誰かのためにもなるし、仲間のスキルアップにもなる。

そうやって45歳からの5年間、20周年までにカタチにします。

2021年という年をどんなことにも負けず、しっかりと生き抜いていきます。

苦しさもあるだろうが、それがあるってことは何かが動いているってこと。

動きます。