okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

さぁーOKEI BREWERY オープン

今日、いよいよOKEI BREWERYがスタートする。
現在、醸造免許申請中のため、まずは国産クラフトビールと旨いメシの店として。

いやーまだタンクもないし、醸造設備もないけどすごいです。
夢がどんどん音を立てて叶っていく様を感じている。

自社ビール工場ができるってすごいことです。
わくわくが止まらない。

ピッツァの窯がやってきた時も高揚したが、すごい感動です。
工場ってすごいなって。
人が楽しむものを作っていく場所。
お酒っていう無限の可能性があるものを作れるってこと。

自分のビールで乾杯できるってすごい。

一つの雑談からビール工場を作ると決めた。
やりたいという強い意志を持つ松山がいたから踏み出せた。
もちろん、今もなお税務署とのやり取りで頭を抱える。
それでも何とかする能力は16年でつけたつもり。

初めてのことを無数にやっている今。
「やりたい」「楽しい」って気持ちが強くないと続かないし、
投資もできない。
そんな仲間がいるから同時にたくさんのことにチャレンジできる今。
幸せだなー

こないだ。
碧が泣きました。
酒屋がうまく営業できないことを。
経理も仕事だけど、ワインができる喜びを続けたいと。

外川が泣きました。
新しいお店を任せてもらえること。
今の環境に対しても幸せだといいます。

黒井が嬉しそうでした。
961が再開できて最高だと。

石丸が必至に新しいことをスタート。
料理人としてではなく、店主として。

武田が泣きました。
クラファンで首の皮つながったViva!okei。
そのクラファンを作ってくれたお客様と再会して。
感謝でいっぱいで。

田中が嬉しそうです。
ブルワリーの料理を任され、新しいキッチンで。
楽しすぎると。

全部かけなくてごめん、でもこれ、全部この数日のことです。

魂がある人がいるってことがどれだけすごいことか。
お店が変わり、人も変わる。
お客様も新橋になかなか来れなくなった人もいるだろう。
それでもお店は毎日続けていく。
こうした仕事を飛び越えた感動を持てる人がいないと
今を乗り越えることはできない。

そこには感動があるし、力がある。

だんだん、決まってきたことがあります。
続けられないお店もあるし、過去の武勇伝は捨てなくてはいけない。
そこの指針は、魂ってこと。

過去じゃなくて、今魂がある人やお店を残して、新たな魂を生み出していく。
そして20周年で自分たちで作ったビールで乾杯したいんだ。
そのために頑張る。

28歳で広告代理店をやめて、
29歳でピッツェリアを作った。
14人の独立店舗を輩出できてさ、
10年以上続けられてさ、
ソムリエもたくさん合格できた。
お客様と作るお店も沢山あったし、
デザインも友人がしてくれる。
お願いすれば、快く引き受けてくれる仲間がいる。
家族を連れてきてくれるスタッフもいるし、
大切な社員がいる。
自分のビールも作るし、いろんなエリアに
お店が増えてきた。

このすべてに真逆のつらいことがある。
それでもこれって幸せですよね。
たくさんの夢のようなことがここにあるから。

夢が叶うってことを
地響きのように自分が感じ、
続けていることが今、また今日改めて感じる。