okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

おけい屋閉店

この2か月ほど、ハゲルほど悩みまくり、決断しました。

日本ワイン専門店 居酒屋おけい屋を閉店します。

どっかに移転とかも今後はあるかもしれませんが、ひとまず。

新橋だけで5店舗あったokeiは2店舗に縮小・集中し、再建を目指します。

おけい屋、おけい屋ハナレ酒店の魂は同ビル1階Viva!okeiに踏襲してもらいます。

ワインショップもVivaに併設していくことになります。

コロナ禍で閉店したのはボロボロオケイ、炭おけい屋に続き、3店舗目。そして移転したのがViva!okei、激動の1年半ほどかな。

16年間お店を経営してきた中でも、魂があるお店でした。

だったら残せよ!って感じですが、どこかを潰していくしか生き残る方法が見つからないというのが本音です。

お店の良しあしではなく、同じ駅・オフィス街に5店舗はいらない時代という結論でした。そのお店をどこにするのか。それをずっと悩んでいました。

全てのお店が思いも強い、そして何よりもコロナ前の武勇伝があります。

それは売上だったり。歴史だったり。おけい屋もその一つで、最も早く集客に成功したお店と言っていいでしょう。初の居酒屋ということで企画から運営していくまで、松山と片寄でそれはもう朝から晩まで死ぬ気でやりましたからね。

っていう話が全てのお店にあるわけです。

だから、潰さないアイディアがない時点で、どこでも苦しいのは一緒でした。オフィス街であり、坪5万以上は普通の新橋でなかなか集客が今までのようにはいかないという世の中。今、しっかり決断をしていくのが正しいと信じています。

リモートが進み、週に1回、3回というような方も多い新橋。

少しずつにぎわいが取り戻しつつある新橋を横目に、こういう決断はなかなか・・です。

これから新橋が大きな復興を遂げて、1年後くらいにこの閉店を後悔したいです。

やっとけばよかったのにって笑って飲みたいです。

Pizzeria Terzo okei、Viva!okeiが再建し、20周年まで生き残れるように踏ん張ります。

合わせて、このコロナ期間でエリア分散をしていく決断、以下店舗出店と、来年には高輪台への出店が決定しています。

・月島 酒場961

https://tabelog.com/tokyo/A1313/A131302/13256627/

豪徳寺 Atelier de terrine maison okei

https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131813/13261984/

・日暮里 OKEI BREWERY

https://arakawa102.com/food/okei_brewery_nippori/

 

新しいことを始める中で何かを捨てていかなきゃいけない事実。

その想いは身体を引き裂かれるような感じ。スタッフもそうです。

だから前に向かってブルドーザーのように進み、笑顔を続けていくしかないのです。

おけい屋というお店はどっかでやりたいなって思います。それが新橋なのかそうではないのかはわかりません。ただ、あの屋号は楽しさしかなかったので。

そして、最後におけい屋というお店を出して、とっても幸せな出会いが沢山ありました。

ちゃこBARのちゃこさんにはずっと気にかけてもらえていつも心配してくれたり、助けてくれたり。圭さんも最初からくだらない話一緒にしてくれたり。

ポンテノーバのまきさんも、いつも優しく声かけてくれる。

オールドファインカフェの新くんも同じ時期にお店を出して一緒に頑張った感じがするし。目の前の水鳥のゆうこさんもいっつも元気で。

それ以外もウナギ屋さんもそうだしl沢山出会いがあって。あ、やすくんも、言ったらキリがない

IBがなければOKEI BREWERYもやってないかもしれないし。

そういう意味ではとっても幸せな時間でした。

何度も言いますが、新橋が復活し、この閉店を後悔したいと思います。

そしてそれの百倍くらい、新しいチャレンジをすることへの躍動感、そこに突き進むスタッフと共に20周年に向かっていくしかない!

ま、もともとどこの馬の骨ともわからない自分。

お店が一つ、いや全部なくなっても笑ってどっかでなんかやりますよ笑