okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

改めてピッツェリアテルツォオケイ10周年

先日,新橋ピッツェリアテルツォオケイは10周年を迎えました。
改めて、皆様多くのご支援ありがとうございます。
独立したのは17年前。
テルツォオケイの隣のビル2階でした。
4年目に3階にビストロをオープン。7年目に隣のビル1階にピッツェリアテルツォオケイをオープン。
当時は「ドミナント式」なんていう言葉でもてはやされた時代かな。
個人として拡大するやり方として、良く取材を受けたりしていましたね。
僕としてはそんなたいそうな話じゃなかったんです。
家賃の問題で1階でオープンは一生できないよなーって思った17年前。
通りに明かりもない、新橋ではマニアックな1丁目でオープン。
そこから7年がたって、隣のビル1階があくって情報がもってぃ(友達)から入ったんですよ。
誰にも相談せず、「やる」って決めました。
何をやるとか考えずにね。
理由は一つ。1階に降りたかったんです。
空中店舗をずっとやってきて、家賃が倍する1階が羨ましかったけど怖かった、
しかも今みたいにテナント募集なんてなくて。
何せ1丁目では25年間一度も飲食店可の物件は出てなかった。
それが話が来た!!!大興奮でした。
しかもまだ公募前だったから、すぐにお手紙を書いてオーナーさんに話して。
公募前に決めることが出来ましたね。
今までいろんな仕事をしたり聞いたり、してきたけど、やっぱりヒトヅテの仕事の入り方って重要です。
それがあるかどうかって全く違う。

動いている人には話が降ってきたりしますよね、やっぱり。
今も痛烈に感じている大きな事業安定の一つかもしれません。

そんな背景でオープンして、今までいろんなことがありました。
今では本店的な扱いになっていますが、10年前は新店舗笑 当たり前ですが。
沢山の人があの場所から巣立って行きましたね。
今、新しいスタッフにゴロっと変わり、昔から来てくれていた常連さんにとっては寂しい場所になったかもしれません。
それは「承知」していました。
コロナに対応していく中で、新しいエリアにチャレンジすることを決めた。
その時点で、新しいエリアを既存スタッフに任せて、新橋は武田だけを残す。
そして、ピッツェリアは新スタッフでやっていくと決めたんです。
最初は大変だったけど、今では今のスタッフが今のお客様と楽しく営業している。
進化なのか、低迷なのかってわからないけど、とにかく目の前のお客様に出来る限りを尽くしてくれてる、
コロナで失ったものはたくさんあるけど、テルツォの10年の中でコロナは全スタッフの出発地点だったし、
躍動の指針にもなっていた気がします。
あの場所でピッツェリアが出来るって奇跡だし、幸せ。
一生やりたいな、あそこで。
ピッツェリアって本当に楽しい。生きてるって感じがするんです。
コロナ禍で入社してくれた今のスタッフが頼もしいんです。
先導するオケイが長いスタッフがいないお店。
わからなかったり不安だったり。。。
その中でも少しずつ正解を探して間違えて。。。
それを解決してきた1年半くらいかな。
時折、何とも言えない笑顔や空気を出してくれると嬉しくなります。
店長に抜擢したかなちゃんは、イタリアンが長いわけじゃないけど、頼りになります。
遂行していく意識が高い。悩みすぎず、前に進める力があるし、ヒト力があります。
ピッツァを焼く佐藤マチャアキは職人。
入った頃は弱さもありましたが、今は楽しもうという姿勢やピッツァ大好き少年のまま。
研究熱心で話していても勉強になります。
ピッツァだけじゃなく、全ポジションをこなす大塚。
もともとはピッツァ職人ではありますが、色々やりたい派。
全員のフォローが出来る人ってなかなかいません。
最近入ったシェフ岩瀬くん。
すぐに打ち解けてくれて、楽しそうに料理をする姿はたまりません。
お料理も優しくアイディアもある、期待大の大型新人。
バイトのレンヤは舞台俳優だからなかなか最近は会えてないけど、
プライベートでも来てくれたり愛情抜群。頼りにしています。

これからもこんな粒ぞろいの仲間と一緒にあーだじょーだ楽しく営業していきたいと思います。