私の両親は11歳の時の離婚し、それから色々あった。
詳しいことはまた書くとして・・・。
僕が始めてサッカーをしたのは小学校一年かそこら。
家の前の空き地で親父とボールを蹴りっこした。
ものすごい鮮明に覚えている。
彼は遠くから僕にめがけて大きなボールをカッコよく蹴っていた。
それを僕はとることも出来ず、避けては追いかけてとりにいき、
見よう見まねで蹴っていた。
家ではダイヤモンドサッカーを見ていた小さい頃。
親父とやったのはその蹴りっこだけであとは部活などでサッカーにおぼれていた。
そしてそれからン十年。
親父は三度目の結婚をした頃か。。。
初めて行った空き地、そしてその周りにある公園。
一人でサッカーをしていた回りにふと行ってみたことがあった。
親父に教えてもらった空き地はものすごく小さく、10mほどしかない。
今の僕では何も出来ないほどだ。
そして一人で遠くに蹴る練習をしていた大きな公園・・・。
「よし、この木からあの壁に届かせるぞ!」
といいながら練習していた木は、ものすごく近く。。。
公園の端から端までキックしたボールが届く公園だった。
僕は大人になったと痛切に感じた。
でも嬉しかった。
一人でしていたサッカーが今では多くの人と楽しむことが出来る。
そしてそのお陰で沢山の人とハートを通わせることが出来た。
サッカー。。
僕にとってはかけがえのないもの
それを教えてくれた親父には感謝している。
片寄啓。
これが親父の名。
私は片寄雄啓。
性格は全く似ていないが、名前は親子そのもの。
この名前があったからこのお店がある。
ありがとう。
父へ
息子より
(この言葉でいつも彼への手紙は始まり、終わる)