okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

三月のこと

去年の三月を思う。

中田君と二人。
まだ家もなく、この店でまるで売れないお笑い芸人かの如く、流しでお風呂に入っていた頃である。
何せどうなるかわからなかったから家なんて借りる勇気はなかった。

そして尻上がりに調子を上げていたokeiは3月でいっぱいになった。
しかし、2人でやっていた自分たちには限界があり、お客様へサービスが行き届かない日が続いた。

でも僕らが必死で頑張っている姿を見ているお客様は暖かく、協力的だった。

そんな僕らには仕込みの時間がなかった。
正確に言うと中田君には仕込みの時間がなかった。

だから毎朝7時過ぎまで作業していた僕らは、その後小一時間の睡眠をとり、仕込みをしていた。
気晴らしにサウナで汗を流し。

3月で2度二人が倒れたことがあった。
寝不足と極度の疲労

僕らは毎日そんな感じだった。
もちろん、飲食業というものはそういうものなのかもしれない。
僕が甘かったのかもしれない。

でもつらい日々が続いた。
でも楽しかった。
だって、僕が考えた店が彼の協力のもと、たくさんの方へ届けられていく瞬間だったから。

そして4月に入り、3人体制の日が多くなった。

それが今のokeiの原点だと思う。

あの月のokeiがあるから今がある。
あの時、すべてから逃げなかったこと。
寝れなくても掃除をしているとき、二人で「疲れたけど美味しいって、楽しいっていってくれたよ、これだよな」って言い合ってた。

そのためにしか僕らは生きる生きていくことはできないから。

僕にとって一生3月は忘れられない月だと思う。
毎年中田君との三月を考えているだろう。

そう考えると少し照れる。
でも3月があれば乗り越えられる壁は多そうだ。