okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

皆様ありがとうございました。

今日、久しぶりにタイトルから書いた。
いつも全部書きおいてからタイトルを書くので・・・。

要するにいつも何を書くか最後までよく分かっていないのです。

さて今日はあの日のことを書くラストの日です。

僕は5月30日を忘れないように毎年何か行動にしている。
最初は関係者を招待してパーティをした。

それからはメールやお電話でのご挨拶を毎年している。

そして今年。

今年は当日来てくれた人だけではなく、これなかった方や
そういうことじゃなくて、とにかく僕を支えてくれた人へ感謝のメールをした。

メールを書き始めたのが今日の朝5:30から。
一人ずつ気持ちをこめてメールを書いた。
二時間寝て、仕事しながらも空いた時間に打つ。

16時からはそのメールだけに集中して書いた。
営業始まる前まで80人の方へのメールが作れた。

ひとまず18時ころからメールを送信し始めた。

最終的には日が変わってしまったが全員100人弱の方への感謝のメールをすることができた。

一斉メールではなく一人ずつ書きたかった。
それが今年の皆さんへの感謝の気持ちだった。、

こうして思い出せる日があること。
代理店時代からお世話になっている人たちへ改めて礼をいうこと。

それが何を生むかなんてわからない。
でも少なくても自分がお礼言えたっていう心は残る。

まだ何も感謝しきれないけど、
とにかく気持ちは伝えられた。

あとはこの気持ちを忘れずもっともっと
成長した姿を諸先輩方へ見せること。

それが今日の約束だろう。

メールを送ると数十通の返信が来た。
中には電話してきてくれた人もいた。
もちろん仕事中だから僕が出ないことも分かっていてだ・・・。

留守電で泣きながら逆にお礼を言ってくれていたひとや
僕の体を心配してくれている人。

そしてお礼なんていらないから飲もうという人。

そして居ても立っても居られないと来てくれた人達。

なぜか泣いてくれる人がたくさんいたのだ。

なんかそんな器じゃないのに・・

僕は留守電を恐る恐る聞いた。
泣いてくれている声を聞きながらぐっときた。;

そして二件目であふれてしまった。

大先輩も大先輩、人格者のSのさん。
彼からの言葉はいつも温かく、僕を包んでくれる。
一周年の時も号泣してみんなの前でまるで仔猫のように泣いてしまった。

今日もまさにそうなりそうだったが、
周りにはお客様があふれている。

冷静になり、今を迎えるとまたぐっとくる。

人への気持ちはずっとずっと伝え続けなきゃいけないようだ。
終わることのない感謝の気持ちはずっと持ち続けていよう。

それがたとえ伝えるすべがなくても、
それを思うことだけでも自分は初心に戻り、また新しいスタートラインに立てるんじゃないか。

今日という日に
僕が僕のお店で何も変わらずいれたこと。

これがすべてだろうと思う。

あの会合で決まったこのokeiという名前。
それが4年後の今日、こうして存在していたこと。

それが僕の成果であり、みんなへの感謝の心が具現化できた唯一のことだと思う。

これから毎年こうして初心に帰らせてくれる日が少なくても
年に二回(今日と周年日)あることが僕の財産といえる。

僕はこの日の恩を忘れず、
苦しくても悲しくてもそれが全て
次の幸せのステップだと心にとめ邁進していきます。

皆様、4年前、僕を飲食の世界へ押し出してくれてありがとうございました。
皆様、4年間、僕を支えてくれてありがとうございました。

皆様、これから一生をもってこの恩を返しながらも
楽しく過ごせるようここで僕は精進します。