5/30から毎日、いろんな先輩やら同級生やら
来てくれたり、長ーい文章の返事をくれたりしている。
そのたびにぐっとくる。
こうして考えると、
年賀状というシステムもわるくないことだなーと改めて感じています。
風習。
これはやらなくてもいいこと。
でもやること。
この有無を言わさず、とにかくやらされていたことには、やはり意味があった。
いつも一緒にいる友人や先輩や上司。
その他大勢の仲間に贈る一行。
その言葉が何かになるから。
年明けに届くその手紙が、
その人にどう届くか。
それはその手紙に何が込められていたのかによる。
でも伝えるチャンスはあるのだ。
僕はそのチャンスがいくつか与えられている。
たぶん、人よりも多いのだ。
だからこうして伝えることができる。
気持ちは伝えたほうがいい。
自分を整理するためにも。
それを伝えるために時間がかかるだろう。
考えるのに悩むだろうから。
それが具現化して人へ伝わったとき、
大きな変化をもたらしていることは言うまでもない。
僕は今回、指が腱鞘炎になるほどメールを打った。
でもそれは無駄じゃなかった。
皆さんから温かいメールや目や表情でそれがわかった。
伝えると伝わる。
大きな違い。
伝わることは、難しい。
それはそれまでのプロセスがない場合に限るようだ。