okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

お礼

今日は記念すべき日。

中田君と僕がこのお店で働き始めた日。

12月4日までは違った。

11月1日に契約を果たしたこのお店では、僕と僕の家族と友人が「働いていた」

掃除や買い物やいろんな瑣末なことを仲間がやってくれた「働いてくれた」

でも12月5日からは違った。
中田君と僕がはじめてここで握手をし、「働き始めた」

僕は彼に一生何かどうなっても感謝をしていくと決めている。
何があってもだ。

それはここで一緒に過ごした3年間があるから。
いや、それがたとえ1年だったとして同じ考えだったと思う。

僕の人生は彼で変わった。
苦しくても悲しくても、ここで毎日二人で話して解決してきた。
苦しめたこともある。
ダメになりそうになった日もあった。

覚悟をしたこともあった。

でも彼は一緒にいてくれた。

何よりもこのお店を好きでいてくれた。
okeiというお店を世界で一番愛してくれているのが彼。

僕と彼はいいバランスだと人は言ってくれる。

でも、それは僕が不安定だから彼が重しとなっていてくれているからだと思う。

バランスがいいのではなく、バランスを取ってくれているのだ。

中田君。
僕と一緒にお店を出してくれてありがとう。
サザンライブの後、手紙で「あの時誘ってくれてありがとうございました」って書いてくれてありがとう
あの手紙はずっと僕の財布に入っています。
今、ちなみに読み直して泣いているところに、中田君が質問に来てしまい、、ばれなかったかな?

僕はいつも君の幸せを考えています。
そうでないことを言ってしまったりしてしまったこともあります。
でも本当にそう思っています

今、こうしてお互い3つ年を取って、対等に話をしながら、いいお店を目指していけていること。
そのすべては中田君のお陰です。

僕が年をとれることすらそう思っています。
これから何があるかわかりません。
苦しいこともあります。

でもこの気持ちに嘘偽りがないことをずっと伝え続けます。

お店がある限りではなりません、なくなっても一緒です

なくならないようにしますが。・・・。

これからもよろしくお願いします