okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

父からの贈り物 息子より

pizzeria-okei2012-12-06

今日は、本当に嬉しい日だった。
あまりこの日記に写真が入ることはないが、この写真はアップしておかなきゃいけない。

僕の家族がバラバラになってしまったのが、中学入学早々だった。
母親が出て行った。

僕もその2年後にはそこを去ることになる。今はもうない。

僕の家族団らんは小学校4年までで終わった。
それ以降はない。

その記憶はあまりないのだが唯一あるのが、この絵。
いまに輝いていたのがこの絵だった。

父が絵が好きで書いていて、これは大学位に書いたそうだ。

自分の住んでいたエリアの近く 仙台。
そんな意味は知らずにその絵を見て育った。

それでよかった。

でも僕にとってずっとこの絵が家族団らんの象徴というか
それしか思いつかなかった。

そしていつしか忘れていたこの絵。
でも父の家に行ってもらった絵は一つあり、
家にも飾ってあった、他の絵を。

お店を出すと決まったとき、どんなお店にしたいか。それを考えていた。
やはり思い出したのがあの絵だった。

団らん。
家族っていう表現がなかなかできづらい僕の家族だったが、
その代り僕には神大があった。
協同広告があった。
サザンとカズがいた。
これだけでどれだけの家族が出来たかわからない。

その団らんの場になりたい。いろんな仲間の。
そして、まだ知らぬ人々のだんらんの場になってほしいと思い、
その空間を作りたかった。

だからあの絵がほしかった。
オープン前に父に確認した、あの絵をくれないかと。
答えはノーだった。

やはり駄目だった。
多分、父はノーと言ったことも覚えていないだろうが、僕は落胆していた。

新店オープンしてから、父とランチをする機会があった。
その時に思い切ってもう一度話したら、即座にokだった。

たぶん、あの頃は、僕に人間力が無かったんだと思う。
いまがあるかどうかわからないけど、あの頃よりはあるんだと思う。

そして今日届いた。

何とか泣かずに済んだ。
そして、何とか泣かずにスタッフにも説明できた。

毎日、あの絵を観ながら、スタッフとの賄を食べられる。
まさに家族との団らんを出来る。

たまらない気持が毎日募るだろう。

今日ピッツァを焼きながらずっと見ていた。

7年前にお店をオープンしてきたが、
今日、okeiが完成したような気がする。

僕がやりたかったのは、ピッツァでもなく、ワインでもなく。
ただただ、幸せな空間を作りたかった。
名もない人々が他愛もない話で寄り合いながら
毎日の苦労と楽しみを分かち合える空間がほしかった。

団らん

その象徴がokeiに届いた。
もう欲しいものは何もない。

ただただ、7周年パーティを待つだけだ。

最後に。
このブログをたまに父が見ているというので一言。

父へ
本当にありがとう。
僕はあなたの息子で幸せです。
あなたの名前の一字を頂き、雄啓とつけてもらえたので今があります。
過去を呪ったこともありますが、
今はむしろ感謝しています。
離れて暮らすことでこの絵も特別な存在として25年経った今も鮮明に僕の
心に残っています。

僕たち家族にとって、この期間は長かったのかどうか。
父個人としてはとても長い期間だったと思う

でも、新店に今度来たときには、一緒に座ってご飯を食べれるようにしたいと思う
それが家族団らんになるから。

息子より