okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

記録にはない記憶

今日、10/18は僕にとって特別な日。
okeiというお店が新橋に内定した日。

僕は2005年10月18日にこのお店にいた。
不動産屋と。

具体的な契約スケジュールや契約に必要な書類、金額、条件などをこのお店でしていた。
全て初めてのことだった。
このお店もまだ潰れてそのままになったお店のままだった。
窓もなく、壁も今とは違った。
もちろん、ピッツァ窯もなければ、テレビもない。

まったく違う店だった、場所以外は。

あの日、あの後何をしたか覚えていない。
でも、一人になった瞬間にこぶしを握り、嬉しさを押し殺して歩いていたことは覚えている。

半年間、物件を探し歩いていた。仕事をしていなく、自分が情けなく思えてきていた。
どこへ行くにもお金との戦いだった。電車を使うか歩くかとか。
ご飯は食べなかった、お金がないから。
飲みに行けばおごってもらった、お金がないから。

そしてこの新橋の物件が出てきたとき、「絶対ココでやりたい」と腹を決めた。
20人近くの申込者がこの場所へ名乗りを上げたため、コンセプトと条件勝負になった。
僕は、広告代理店のときに仕込まれたプレゼンシート作成の経験を活かすことができた。

とにかく、死ぬ気で取りに行った。
勝ちにイッタ。

それがなければ、今の自分の1%もない。
覚悟を決めてよかった。

そしてココで出会った人に出会えたのもそのお陰。

今日、この日は契約書にもかかれない記録に残らない小さな日。
でも僕には記憶に残る大切な、人生で大きな1歩。


最後に下記が去年の今日、僕がミクシーに残した日記。
確か嬉しくて嬉しくて、横浜に帰る東海道線で携帯から書いた日記。
僕はあの瞬間から今を想像できていただろうか?
全く出来なかった。
こんなにお客様が来てくれるなんて。
この記憶はずっと僕に刻まれるだろう。



2005年10月18日

本当に自分は恵まれている。何の担保もない、何もない僕になにも聞かずに支援してくれる人。助言、注意をしてくれる人。そして何もしてないようで心配してくれる人。僕は生まれながらに恵まれた環境なんだろう。気づいてなかったが。同時に自分がいかに無力かが日々感じる。何も出来ないくせに何かをやりたがる。昔からそうだ。しかし今回はたとえそうであっても逃げ出すわけにはいかない。自分を信じるしかない。なぜなら『オケイ』は生きる場所が決まったんだ。また今日も眠れない。