okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

横浜を感じて・・・

日曜日に久々に横浜へ行った。
理由はたいした理由ではないが、横浜からの景色や海が近い香りがして懐かしく思った。

生まれも育ちも横浜な自分は、完全に横浜でお店をやろうと思っていた。
実際、契約寸前までいった物件もあったし、真剣に探していた。
しかも、横浜にはまだまだピッツァを手軽に美味しくというお店がそんなに多くなかったから勝算もあると考えていたから。

でも現実は厳しかった。
いざ見積もりを取るといろいろ重なり、自分の予算では厳しいことに気づいた。
しかも横浜でやるなら「薪の窯」と決めていたから。

ピッツァをやるなら「薪」と考えるのはピッツァ職人としては当然のことだと思っていた。
だから自分が学んだ「薪」にこだわって物件を探した。

でもその設備投資とランニングコストに断念せざるを得なかった。
正確に言うとそのお金をかけたら自分が理想とするピッツェリアが不可能だったのだ。

そもそもピッツェリアというのはイタリアだと・・・・・かなりカジュアルというかおにぎり屋というかそんなものだと思う。
だから3000円近くするピッツァを出す気にはならなかった。
見積もりを取り出してわかったことだが、どうしても設備や営業してからのリスクなどで高くせざるを得ない状況なのだ、日本だと。。。

だから自分がよく知っている町で安くピッツァを!ということでサラリーマン時代を長くすごした新橋に今Okeiはある。

最初の頃は、今の石窯に不慣れな部分もあったが今では良き相棒である。
しかも、だんだんピッツァが美味しくなっている。
これは窯が使い込まれてよい香りが立ち込めるようになったからではないかと思っている。

今は自分のお店のピッツァを誇りに思う。
僕の店よりおいしいピッツァを出すお店はたくさんある。
でもokeiよりピッツァを楽しく食べれるお店はないだろうと思えるから。

楽しくおいしくワイワイと。
居酒屋でいいです、僕は。
だって、お客さまの顔が十分僕に勇気と幸せを伝えてくれるから。