okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

二周年パーティと会社設立

pizzeria-okei2007-12-10

今日は書くことが多すぎる〜。

12月8日(土)15時からお店の二周年パーティを開催した。
去年は知り合いと超常連さんにしかご案内をしなかったのだが、今年は
沢山の方へご案内をした。
内心どの程度来ていただけるかわからなかったのだが、ふたを開ければ15時から
沢山のお客様が来店してくれて、220人くらいの方がお祝いに駆けつけてくれた。

とにかく予想以上に皆さんが楽しんでくれていて本当に嬉しかった。
苦しいほど皆さんが優しく温かく、この日を楽しみにしていてくれたことを感じ、
僕は生きていてよかったとすら思った。

席もなければ満足なスペースもないのに
はじめてあった隣の人を気にしながら飲食してくれているお客様にただただ感謝するほかなかった。
入れない人は下の焼鳥屋や周りの中華屋さんなどで飲み、たまにOkeiに来て様子を見る。

まー本当に温かい会だった。
今回は、下の焼鳥屋やほかで飲んでいた分も僕が御馳走することになっていたので
みんな気兼ねなくやってくれたようだった。

また、乾杯の際にはスタッフへの感謝の言葉を述べてから乾杯すると決めていたので
一人ずつ計4回の乾杯をした。
このお店があるのは僕のおかげではなく、彼らのおかげだから。
続けていくには支えがなくてはいけないから。
僕は作っただけ。作り上げるのはみんなと一緒じゃなきゃ出来ない。
だからどうしてもみんなへ感謝の言葉を伝えたかった。

お客さまからのサプライズもあった。
僕が一語が好きなのを知って、4人でイチゴの格好して、ケーキを持ってきてくれた。
あまりにびっくりしてどぎまぎしてしまったが、本当に嬉しかった。
二年前までは出会うことすらなかった方々が、今は僕のことを大切に思ってくれている。
ただの飲食店の店員なのに僕のために長い時間費やしてくれていたことを
本当に感謝している。
その時のあいさつで流れで中田シェフの話になり、ついに泣いてしまった。
お客さまからの愛情と今まで中田君からもらった支えを思い、泣き崩れてしまった。

あの空間に入れたこと、あの空間が作れたこと、あんな小さな所に
ぎゅうぎゅうになりながらも、僕らのために居てくれたこと。
全てに押しつぶされてしまいそうなくらい感謝していたから
抑えきれなくなった。

一生忘れない日だと思う。

そして今日からこのokeiは株式会社として生まれ変わった。
3年目に当たり、会社にすることを決め、実行したのだ。
去年、僕は1周年の最後にみんなへ話した、来年は会社にするって。

とにかくそれを実行して、スタッフがよりより環境で働けるように
したかったの。
結婚しているスタッフのために福利厚生はしっかりしたいし。

会社にして僕は社長になったわけでまたいろんな勉強をしなければならない。
でもそれが二周年で来てくれた人のためになるなら喜んでする。

12月といえばokeiのパーティなんて思ってくれていたら最高。
そうなるまで頑張っていこうと思う。

幸せな空気で満ち溢れた会社にしたい