okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

富士

広告代理店時代の先輩のお父様が亡くなった。

営業と結婚式でどうしてもいけない葬儀。

気持はすぐにでも行きたいのに・・・。

情けないというか、しょうがないというか・・・。

親父が死んでしまったら僕はどうなるだろうか?
たぶん、だいぶ厳しい状況になるだろう。

まだ僕の家庭が壊れてなかった頃。
親父は暴力がすごかった。
そして固い男だった。

だから少しでもずれたことをすれば怒鳴られていた。
恐怖が先行していたことを覚えている。

でも親父に何かしてもらうのが本当に嬉しかったことも
確か。

父というのはそういう何かを僕にしていたのだろうか?
わからない。

離婚した時も何の迷いもなく父方へついた。
何の問題もなかった、その判断には。

それから少しずつ親父は変わっていった。
どんどん丸くなっていくように感じる。

埼玉にある家は二番目の奥さんの時に買った。
三番目の奥さんとも住んでいた。

今はその奥さんと富士にいる。
今は幸せそうな笑顔ばかり見せる父。
本当に良かった。

彼は富士が気に入っているようで
埼玉の家を売って富士で家を買いたいようだ。

こないだそんな話を聞いた。

僕は思わず。。。

「お金が足りなければ少しは出すよ」

親父は喜んでいた。
こんなに親父が喜んだ感じを電話で感じたのは初めてだった。
店を出した時も、違った。
ただただ、気をつけろ!まだ安心するな!そんなにうまくいかない!あまい!
そんな話をずっとされていたから。

でも今回は違った。
「ありがとう」

その言葉を親父から聞いたことはあるが、
あんなに実感を帯びた響きではなかったように思う。

だから僕は思っている。
彼があそこに住みたいなら
それに協力してあげたいと。

そこで最期を迎えるのが嬉しいのならそうしたいと。

だっていつどうなるかわからないから。

出来ることはした方がいいと思うから。

息子ができることは、息をしている間。
その間に子としてやれることはやりたいと思う。

それを生きている、
これから生きていく証として
胸に刻んでおきたい。