okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

アイムノットゼア

昨日、あるドキュメントを見ていた。
それは65歳の元警察官の物語。
彼は警察官を退職後、ホームレスになった。
生真面目な性格からお酒におぼれ、すべてを失った。

そして五年間のホームレスから立ち直ろうと面接を受けるがダメ・・・。

最後に受けたのが警備員。

電話の前で二時間落ち着かない様子で待つ。
そしてあきらめかけたその時、合格の電話があった。

初めての出勤。

会社の前まで着くが、緊張でなかなか中には入れない。
何度も髪の毛を直す。
掌に人の字を書いて飲む。
汗びっしょりの頭や顔を拭く。

15分の格闘ののち、彼はドアを開いた。
それでも30分以上早い到着だった。

そして自分のよりだいぶ若い上司に説明を受ける。
姿勢は正しく、顔は真剣。
そして返事は「はい」「がんばります」。
それは切れがある返事であり、意欲のある言葉だった。

そして初めての仕事。
工事現場の前の交通整理。
歩道を歩く人たちへ危険がないように誘導する。

仕事が終わった後の彼のコメント。
「一生懸命やれば、通行人の方にありがとうって言ってもらえた。
それが嬉しいんです」

このドキュメントにはやられた。
ぐっときた。

65歳の方のあの顔が忘れられない。
仕事が与えられた嬉しそうな顔。
泣かずともそれがどれだけの感動かが分かる険しい顔。

実は僕もホームレスだった。
このブログを読んでいる人は知っていると思うが・・・。
もちろん彼までにはひどい環境ではなかったが。

でも飲食に入り、家に帰れない日々が続いた。
ネット難民のようになった。
まるでそこで暮らすために働いているようだった。

お店を出してからもお店に泊っていた。
家を借りるお金がなかった。

寝れない日々が続いていた。

あの感覚は忘れられない。

僕には寝るところは何とかあった。
でも周りと違う環境や所定の場所がない感覚。

劣等感とういうか。。
僕の将来がもう見えなくなった時もある。
それは環境がそうさせるのだ。
「だめかもしれない」
お店なんて持つという大きな夢を見た自分が小さく見える。

そんな環境しかなかった。

その泥沼から抜け出てやっと前に歩けるようになる。

あのドキュメントを見ていてその時のことをすべて思い出した。
あそこには戻りたくないというか・・。
戻っても対応できるような気持ちは持っている。
でも、そこを感じているからこそできる今の気持ちで乗り切っていきたい。

辛いことなんかないんだ!
今はどれだけ幸せか。
それが身にしみた数時間だった。
でも僕の今はそこじゃない。

今はここにいる