今日は友人のお父様がなくなり、急遽お通夜に向かった。
営業に差し掛かっている時間だったし、場所は宇都宮だったのだが、
足を運んできた。
もちろん、お香典やお花や弔電など色んなお悔やみの方法はあった。
そういう場合もある。
でも、お店を出してからいささかそういう事に慣れてしまった自分が気になっていた。
忙しいから行けなくてもしょうがない。
なら、できるだけ何かさせてもらおう、、、、と正当化しながら・・・。
そこに引っ掛かっていた。
自分はまだ33歳。
そんなしっかりとした人間でもなければ、きちんとした人間でもない。
であれば、足しかない。
友人への感謝、故人へのお悔やみに対してできることと言ったら、そこへ向かうこと。
ついこの前、先輩のお父様がなくなったとき、行けなかった。
それが今でもずっと気になっていたから、今日いけてよかった。
僕が行った時の友人の顔は申し訳なさそうに笑ってくれた。
おそらく僕の気持ちが伝わったんだと思う。
たぶん、僕が弔電出しても伝わらない、それはまだまだ器が小さいから。
少しでも彼の気持ちが和んだなら、行った意味があったのではないか。
落ち着いたら、飲みにでも誘おうかと思う。