okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

新橋に出店した最大の理由

今さらこんなタイトルもないだろうと思うが、何となく・・・。

物件を探している最中、僕は渋谷を中心に探していた。
以前勤めていたレストランが代官山だったことも大きい。
それに加えて、渋谷の裏側や恵比寿、中目黒、青山裏とかは知る人ぞ知る・・
みたいなお店もあり、ワイワイもありで楽しかったから。
そして自分の地元横浜から近い東京であったから。

横浜に住んでいた大学時代までは、銀座にも新宿にも池袋にも行ったことがなかった。
だから東京と考えるとどうしてもそっちだったのだ。

そしていつだったか・・・僕の大好きな先輩木村さんから
酔っ払ってこんなことを言われた。

「オレがいけないじゃないか!渋谷方面じゃ。だいたい、今、マスコミは◎通が汐留にきてから日テレなど大企業がどんどん来ていて、人口も増える。
ますます銀座、新橋から動かなくなるんだよ、飲みに行くのも。新橋なんかいいじゃないか。新橋にしろ新橋に!」

と。
その時はそうだなーと思ったくらいだった。
でも次の日、いつものように物件めぐりやネットで探したりしていると、昨日の木村さんの一言がどうしても気になった。
「新橋はこれから悪くなりようがないんだよ」とも言っていたから。

確かに。人が減ることは考えにくいなーと。
競合は沢山いるけど・・・・。




それで新橋になったんです、実は・・・。
木村さんありがとう。

木村さんがいなければ新橋にはなりませんでした、間違いなく。
そしてココにokeiがなければ会えない人達がいっぱいいました。
たぶん渋谷に出したら埋もれていたかもしれない。
ま、渋谷のほうがよかった人もいると思いますが・・・・。

意外に自分でドンドン決めるタイプだからこのときは違った。

素直にそう思った。
不安でいっぱいだったから、言い切ってくれた木村さんに納得できた部分もある。

今となっては新橋も横浜から近いし、仲間も来れる。
僕のホームグランドになりました。