okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

玄関

先日、営業前にドラマの再放送を見ていたら。。。
子供が熱を出して寝込んでいるのを父親が必死に看病しているシーンがあり
自分の幼年期を思い出した。

以前も書いたが自分の家庭はもろもろ複雑。
離婚して父についたり母についたり色々だった。

父についていた時、確か中学1年だったように思う。
学校で高熱になり、早退した。

家に帰るなり、寝たかったのだが、ご飯の担当だった。
父親が帰ってくるまでご飯を炊いておくのが自分の担当だった。
あとお風呂を入れること。

しかし、到底そんな体力はなく、寝込んだ。
でも、部屋で寝ていると疲れている父は、
僕も寝ていると勘違いして気付いてくれないと思った。

だから僕は玄関に布団を持ってきて、寝た。
39度以上あり、汗もびっしょりだった。

20時過ぎたくらいか・・・
父が帰ってきた。
もちろんやさしい手で額を触り、なんだかんだやってくれた。
お粥とか作ってくれたような気がする。

今こうして書いていても泣けてくる。
いつも厳しい父が僕を救ってくれているサマがとても清く見えたのだ。

今思えば玄関で寝るのはやり過ぎだったのかもしれない。
その当時は、環境が環境だっただけに自己主張だったのだろう。
僕もいるんだという・・・。

家庭環境を恨んだことはない・・・と言ったらウソになる。
でも少なくても今は恨んでない。

ああして、子供のころ、優しくしてくれた父のことを
今でも美しい思い出として胸にしまえているから。

優しさを感じる環境に入れたことが僕には良かった。
人に提供できるかどうかは別として、
その温かさは人以上に分かっていると思うから。
絶対にこんなブログ彼は見ないのでお手紙でも書いとこうかな。

父へ。
富士の町が気に入ったようですね。
あの頃、大変だったでしょうから
そっちで楽しく暮らしてください。
優しさを教えてもらった僕は
少しでも今、それをほかの人に与えていきたいと思います。

ありがとう

息子より