okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

父の訪問

今日、久々に父が来店した。
こちらに出張帰りに奥さんへのプレゼントとして
ピッツァを持ち帰りにきた。

しかし、カバンを二つ持っているから
もう荷物が増えるのは嫌だからこのかばんに入れてくれという。。・。・。

しょうがないから8分割にしたピッツァをまるでミルフィーユのように
重ねて持ち帰ってもらった。
帰宅したときにはいったいどうなっていたのだろうか・・・。

今仕事で2年ほど富士市にいる父。
埼玉に家があるのだが、あちらに移住したいようだった。

しっかし、その埼玉の家が売れないらしい・・・

あちらで買うお金になればと思い、高めに売りに出しているらしいが。。。

父の人生で、今が一番幸せだろう。
3度目の結婚の父は今が一番穏やかで、楽しそうにつらそうなことを話したりする。

疲れちゃったよ〜という言葉が以前ではただの不機嫌な態度で
こちらが読み取るだけだった。

今は違う。
自分が疲れていることを話のネタにするほどに余裕があるのだ。

僕が知っている限りで20年くらいは本当にいやな思いをして生きていただろう。

でも、こうして僕は成長できたし、彼を嫌いにもならなかったし、
大学まで進学させてもらった。

今こうして社会人になり、サラリーマンを経て、飲食業・そしてオーナーへなった僕は、
そのすべては理解できないが、少なくても生きていくつらさは理解できる。
そしてその中に家族の犠牲があったとしても、2人の子供を育てられたこと。

そして今は幸せなこと。

それがすごい。

だから父の希望である移住を何とかさせてあげたいと思う。

そのための援助ができればなと思う。

目に見える形で本当の意味で感謝を示せるチャンス。

チャンスはもう訪れないかもしれない。
だから、ここでやるしかないのだ。

以前書いた言葉。

明日やろうは馬鹿野郎。

そのものだと思う