okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

父の日

きのうは父の日。
皆さんはどんな一日を過ごしたでしょうか?
僕は素敵な結婚式に出席し、心洗われ、家族といろんな意味でやり取りをすることがあり・・・。

そして、父へ果物を贈った。
日ごろと今までの感謝をこめて。

夜遅くにお店に戻り、メールを見るとお礼のメールが届いていた。
おいしく食べたと嬉しそうなメールだった。
そのメールへの返信をこの日記に残しておこうと思う。

僕から父への手紙。
それがここにあってもいいと思うので。

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「父へ」
幼年時、空き缶に覚えたての粘土をつけて、
花瓶を作って父の日に送ったのを覚えています。
それからかな?欠かさず父の日は何かの感謝の意を示しているつもりです。
それは、幼年時に鬼ヤンマの絵を書いてくれた事、
空き地でサッカーを一緒にしてくれたこと。
そして家族がバラバラになっても我々の事を忘れないでいてくれていること。
会社を辞めた時の厳しい指摘、教訓。
それから数カ月後に代官山の修業先レストランに来てくれた優しさ。
okeiオープンのときには金銭的だけでなく、多くの支えになる言葉をくれた事
そのそれぞれのタイミングで父なりに
その時の立場や状況の中で最大限の愛情を示してくれていたからだと思います。
また、okeiスタッフへ毎度毎度、来るたびに
頭を下げる父の姿を見ていつもありがたいなと思っています。
同時に僕が社長としてスタッフやスタッフの家族への接し方の見本としています。
そしてその父を支えてくれている町子さんがあっての事とも十分に理解しています。
くれぐれもママハハなどと思わず、
実の母親と同じく思っている事を付け加えておきます。
日頃、近くて遠いのであまり感謝の言葉や心づかいができない事をお詫びしながら、
日本にこの父の日母の日というシステムがある事に感謝しています。

少なくても誕生日とこの日だけは気持ちを伝える事を許されていますから。
息子より

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そして先ほど上記のメールへ返信が来ていたのでこれも残しておこう。

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「雄へ」

感謝の言葉をたくさん、ありがとう。

君のプレゼントのことで思い出したので、伝えておきたいことがあります。
それは、君のもらったプレゼントは、みんな未だとってあります。(花瓶の記憶はないのだが。)小学校卒業記念に作った「啓」ハンコ、大阪のおじさんに作ってもらった「雄」のハンコ、幼稚園で作った灰皿、それと君の成績表、それから、君のへその緒、などなど、しっかりとってあるので、こちらに来る機会があったらまたは結婚したら持って帰ってください。智の分は、すでに渡してあります。
東川口は今週末に契約になるだろう。その時はまた連絡する。

父より