okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

旅立ちの報告

知っている人も多いが、書いておこうと思う。
ずっと一緒にこのお店をやってきたシェフが3月で退社することになった。
取締役でもある彼が去ることは本当に悲しい事。

でも、実はこの事実は1年以上前から知っていた、僕だけは。
それが何を意味するかは、一社会人の方であればわかってくれるだろう、どれだけ彼がこのお店を愛しているかという事を。

彼はオーベルジュというものをやりたいと思っている。
それは見た目はペンションや宿泊施設のように見えるかもしれないが
それとは多く違う。

宿泊メインで食事つき、、、というのが一般的であるとしたら
それは、レストランに宿泊が付いているという事になるだろう。

彼は、このお店になぜ来たか。
もちろん色んなタイミングはあった。

僕と言う存在があったのはもちろんだが、それ以外にもたくさんの偶然があったと思う。

彼に生まれながらに備わっている究極のホスピタリティーが今までは生かせていなかった。
というよりは、それを生かせる場所に行くために、腕を磨いていたということかもしれない。

そして僕と出会い、もしかしたら・・・・と思い勇気を持ってきた、というよりは何となくきた。。。

僕も何となく彼を誘い、何となく始まった
今はこうして沢山の人が知っている店になったが、最初はそんな感じだった。

そして始まっていくと、お互いのやることなす事全てが新鮮だったに違いない。
僕はただのサービスマンではなく、サラリーマンを十分に経験した異端児。
彼の料理をあまり食べていなかった自分は、彼のパフォーマンスに驚いた。

お互いが違うステージで繰り広げるホスピタリティに目をパチクリしていた。

辛い時期もたくさんあった、でもそれが楽しいと感じてあっという間に過ぎて行った。
かれはその間に少しずつ体感して行った。

自分に備わっているホスピタリティの数々の思いを。

それを毎日具現化していたように思う。
それが僕とうまが合っているのだ。

そして沖縄の旅館や箱根のオーベルジュなどに行くことで
色んな意味のサービスを体感していった。

そして自分も料理だけじゃなく衣食住全てにおいて、お客様を満たしてみたいという欲求を持つようになった。

だから僕の会社内でそれをやろうという話も出た。
実際、彼が沖縄の旅館に行くときにしっかりと見てくるように話していたし、補助もした。

ただ、どうしてもそれを自分で体感しないといいものはできないとお互い感じた。

そして時は過ぎ、彼からやっぱり自分で体感したい、そして自分でやってみたいという話が出た。

僕は止めなかった。

泣きそうなくらい止めたかった、すがりたかった。
でもそれはしなかった。
それは、彼が僕に言うまでにどれだけ悩んだか、容易に感じられるから。
僕に言う事がどれだけの事か、わかっているから。

それからすぐに1年後のokeiを想像しながらの作業が2人で始まった。

僕は彼に夢をかなえてもらい、続けさせてもらった。
彼は僕の店で多くの夢を見て、それをスタートする決意をした。

この夢の宝箱からでる彼を僕は精一杯応援し、死ぬまでそれを続けるつもり。
そうしてお互い意識し合って生きていければどれだけ幸せかわからない。

彼がこのお店で料理をするのは3月19日で終わりです。

お料理を食べる機会があったら
いつもよりゆっくり食べてください。

僕もそうしたいけど、なかなかできない。
一緒にいるからね、だからぜひ皆さんには食べてほしいと思う。

okeiを作った張本人ですから。