okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,オケタプの5店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

明かりを灯す

元旦はお店に行ってちょこっとやることやったくらいで、あとは大掃除と犬の散歩と食い倒れって感じ。

街を歩けば、沢山の常連さんに会い、談笑したり近所のお店でコーヒー飲んだり、ご飯食べてビール飲んだり。

地元ではないですが、まるで地元のように過ごせていることに幸せ以上の裕福な気持ちになります。

朝から何度かテレビでニュースやバラエティを見る正月はいつも通り。去年は能登半島地震でしたね。。。。

今朝、ニュースのドキュメントを見ていて涙が止まらなかった。

スーパーを営む、同年代の男性。地震と大雨で2度の大打撃。

それでも地域のためにお店を何とかオープンし続けている。地震後、復活した初日に来た小学生が泣いていた。

【この場所が好きだから嬉しい】

涙が止まらなくなっちゃったきっかけ。

お店って、そこに明かりが灯っていることが【何か】になるってことなんだなって。買い物をするっていう最低限の利用が全てじゃなくて。明るい街並みとか人がいるってこととか。誰かと会えるとか。

その店主がうつになってしまい、病院に薬をもらいに行ったら、100人単位の待ちだったそうで、その時に【自分だけじゃないんだ】って感じて、鬱になっている場合じゃないって奮起したみたい。

そして沢山の人に支えられていたことを再認識したきっかけにもなったと。使用している冷蔵庫やランプなどは全て寄付。

潰れてしまったお店から続けていくならぜひ使ってほしいって魂を頂いているような感覚のようだった。

いやー【わかる】って思っていた。いや、わからないです、被災していないから。ただ、コロナでそういう頭がパニックの時が沢山あった。でも、自分なんてただお店や会社が潰れるだけだもんなって思った瞬間があった。

何も辛くない。これで辛かったら被災した人達に申し訳ないって。

そして僕のずっと前にお店をやめたくなった時、スタッフに救ってもらったことがある。【僕たちが支えるんで続けましょう】って言われて。そこで改めて頑張れた。

コロナでビバ閉店を発表したら、お客様がクラファンを立ち上げてくれて180万を寄付してくれて、復活で来て今がある。

結局、めちゃくちゃ支えられて今があるんですよね。僕も。

だから、経験したことのない被災した方の気持ちを違う形ではありますが、理解が出来て。やっぱり、こうしてお店が出来ている今を大切に、仲間といいお店を作っていかなきゃなってめちゃくちゃ気合入りました。

そしてチャンスを頂けるなら、なんでもチャレンジするのも、また正しいなって思った。だって、自分たちがどれだけ頑張っても、こうして苦しめられてしまう可能性ってみんなあるわけで。いつどうなるかなんてちっぽけな自分には全くわからない。だったら、休んでる暇なんてないですよね。幸せな環境で暮らせているんだから。

僕も含めてスタッフも考えていくべきこともありますね。

働き方を改革していますが、自分たちに時間がある限り、楽しくガンガン自己投資して楽しむために頑張るっていう形を作っていかないと。

勇気あるビジネスマンというか、立ち向かえるチームにしていきたいです。

それが何なのか。どうしたらできるのか。今までならできたことも、この時代だからしづらいことも多い。でも悲観的なことだけではない。

躊躇わず、頑張りやすいチーム。もちろん、働きやすい環境も作りつつ。難しすぎる笑。

でも、それが今を生きるってことだし、ある種使命みたいなキモチ。

お店に明かりを灯し続けていくために。

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