okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

閉店したボロボロオケイ

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ボロボロokeiというお店を12月9日、ひっそりと閉じました。

閉店。

コロナ感染が広がっていった3月後半にオープン。

これはさすがに運が悪かったという他ない。うん、そう考えちゃう。

コロナさえなかったら。そう思っている。

あの空間がたまらなく好きだった。常連さんには

 

オケイさんが作ったお店で一番いいよ!

 

って言われたこともしばしば。

それくらい言われても、確かにそういう風に感じる人も多いかも!と。

30年ほど続けてこられたおかみさんから譲ってもらった。

譲渡費用は200万円。そこに少し手を加えて。

投資としては総額300万くらいだろうか。

色々考えてみると400万円が捨てられたことになってしまった。

短い期間だったなー。寂しい。

こんなにひっそりと店を閉じたのは初めてだし、何かに追われ、

悲しんでいる暇もないという状況も初めてで。

そう考えると、今世の中には知らない間になくなっていくお店や事業、人までも沢山いるということだと思う。

あっという間にモノやコト、ヒトさえも無くなっていくということ。

これが自分のものを失って又思った一つ。

石丸シェフには本当に申し訳なく思ってる。イシマルという勝どきに作ったレストラン。あそこも無くなってしまった。

彼にやってもらったお店がこうして失ってしまうことが2度あり。。

あーなんか、自信も失わせてしまうし。もちろん彼なりには反省したりする。

でも、不可抗力もあるからね。

ただ、こうして事実として残るお店。残れないお店があるということが事実である。

okeiにも来てほしいけど、自分が大事なお店を気にしてあげてほしい。

大切に思っているお店があるならば、足を運んでほしい。

気づかない間に今、悩んだり、寂しくしていると思う。

好きなお店がなくなっていくという事実は止められない。

僕は今、1つのお店を初めて16年目に入った。

今は店も多くなった。当然、こうした閉店開店作業がある。

それがすごいと思うことは1度もなく、今やりたい!そう思ったことに邁進して16年目だ。

1つのお店をやっている人たちは、1つのお店に全部を注いでいる。

それこそ人生、時間をすべてそこに使っているといっても過言ではない。

ぼくもそうだった。今も1つの会社、(株)okeyにすべてを注いでいる。

沢山の仲間を支えたい!と必死だ!

どんなお店でもいろんな必死さがあって。

そこにドアが開いて知った人が来てくれることほど嬉しいものはないんだ。

だから、自分が好きなお店に顔出してもらいたい。

それで命がつながる。

少なくても僕はそうやっていつも命を繋いでる。

閉店したって死ぬわけじゃないぜ!

そんな気分にさせてくれる常連さんたちがいるから。

こないだ、菅野さんが10年前のお店での出来事を覚えてくれていた。

お客様が気にしてくれることって、本当にうれしいです。

僕は死にませーん。

だってみんなが気にしてくれるから!

やるぞー