okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

地震

今日は地震の日になった。
とてもとても一言では語れない日になってしまいました。

甚大な被害が日本を襲っています。
軽々しく語れないので僕の身の回りにあった事。

それも、こんな中にも前向きな事を書こうと思います。

お店は予約で満席でしたが、当然ほとんど来ませんでした。
分かってはいましたが、お待ちしようと思っていたし、
同時に誰かが来るかもしれない、知ってるお店に来たいと思って
安心しに来るかもしれないと思い、お店を開けました。

そんな説明を全くしないで、始まった営業だったので
スタッフにはストレスを与えたかもしれない。
皆も帰りたかっただろう。
だからその判断が良かったかどうかは今もわからない。

ただ、川崎から埼玉に帰宅する人が
まずはokeiまで行ってみようと思い、4時間かけてきました。
ここなら受け入れてくれるはずだと・・・。

泣きそうでした。

その人だけでなく、久しぶりの方も含めて沢山の方々が
ここなら・・・と救済を求めに来てくれました。

トイレを借りる、携帯の充電、待ち合わせ、温かい食事。
さまざまな理由でこのお店を最終兵器的に使ってくれました。

病院からも食料を依頼されました。
いつも挨拶をしている人が血相変えてきて、お願い、ピザ持ってきて。。。と。

よくわからず、うんと言いました、。
お金ももらっていないので、どうなるかわかりません。
でも助けられたことは間違いありません。

他、沢山の方々が、止まり木の如く、渡り鳥の休息場の如く、このokeiに舞い降りました。

今もなお、ここで朝を待ちながら、仮眠をとるお客様が多くいます。

スタッフにとって、僕が独断で営業をした事は褒められる事ではありません。

本当にすいませんでした。

でも、お店が必要とされ、それにこたえられた事は
生きている事がokeiだと思ってきている僕にとって、同じ道でした

今後は独断ではなく、しっかりと説明をする、ないしは、しっかりと社会へ対して、
貢献していきたいと言うお店である事を説明していきたいと思います

皆にはこれから謝りのメールをします