okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

結婚式をした日

現在結婚8年目。入籍をした11月1日から4カ月くらいたった、7年前の今日。

結婚式を行った。

出席して下さったのは300人ほど。沢山の方々に祝福され、それはそれは楽しい時間でした。同時に確認の時間。大事なこと、人、モノ。

指さし確認をしているかのように一つ一つ。今でも走馬灯のように時系列で思い出す。

結婚式の2週間前に突然亡くなってしまった妻の父。開催しない可能性もあった式。前日にバージンロードを歩く練習をしていたのに・・・

当日の結婚式は兄とともに歩いた妻。その段階で号泣し、参列してくれた皆さんも泣いていた式。涙の理由が複雑なスタートだった。

書けばきりがないほどの思い出がある式。今でもたまに二人で見る映像や写真。

以下は作ったタキシード店のサイトで紹介されたもの。

ザ・プリンスパークタワー東京で挙式されたK様のタキシード | 東京・青山の新郎オーダータキシード衣装 THE GENTS TOKYO

その時間を過ごした日を思い出す今日。改めて夫婦で共に過ごし、ゆっくりと話をしたい。大事なこと、モノ、時間、人。

 

帰る家が一緒なこと。

 

それが一番の幸せだという妻。

今でもそう言ってくれる。

これから夫婦と愛犬かぼすと一緒にお散歩に行ってきます。

かぼすと右手に、妻の左手をもって離さずに歩こうと思う。

 

断捨離と雇用

今引越しの作業をしていまして、断捨離中。まー捨ててます。

で、その中でも捨てられないものってあるじゃないですか。

沢山のお手紙とか自分の書き物とか。

お店を出してきた中でいろんな思いを書いていて。

それらを少し見返していると、今、自分が存在しているってことに感謝出来たり。

先日、高輪台フィロの譲渡とスタッフ退社のお知らせをこのブログでしたんですが、すごい反響でした笑 スタッフはポジティブな退社なので応援しているんですが、やっぱりお店は大変で。

4月以降どうしていくんだーみたいな状況ではあるんです。

最近は求人をしてもなかなか集まらないっていう飲食の状況が合って。我々も求人を出しています。ただ、とは言え、面接はかなり応募が来てくれています。

毎回、応募がたくさんあるってすごい励みになるんですよね。もちろん、?って感じの方もいらっしゃいますが、夢が合ったり、今の職場が合わなくて苦しんでいたり。

色んな方とゆっくりとお話をしています。

時には人生相談みたいになることも多いです。気持ちが疲れちゃってる若い子も多いかなーっていうのが印象。同じく40代も悩んでるなーって。

僕はそんなに業界に知り合いがいないで出店してきたので、殆どが公募なんです。知り合い通じてって少なくて。シェフをやったことない人がほとんどで、初めて任される人ばかりだし。

だからあまり右に習えというか、今までの飲食とかよくわからなくて。

給与体制とかも自分で今のメンバーに良いものを考えていくって感じでより良くしていってます。

例えば、1年いたら月額1万円以上の昇給はしないとなーとか。そんな漠然としたものを意外と守ってきています。もちろん3万上がる人もいますけど。

入るときの給与は納得して入っているはずだから、そこからしっかり昇給していくって大事だなとか。そんな気持ちでスタッフの雇用体制を考えています。

色んな経営者の方に最近聞かれるので書いておきました笑

さて、また明日も面接。いい出会いがあるかな。

(あ、あまり1度の面接で採用を決めることはありません。何度かお話をしながら決めていくのがお互い良いんじゃないかと思っているので)

17周年を迎えて

丸17年という歳月が今日、迎えました、12月9日。

いつもならワンワン泣きながら周年パーティをしていたところです。

来年からまたやりたいなって思ってます。

あー何だか、フワッと今日になりました。いつも通りTシャツを作ったし、忙しない中にも、感傷的になる日が合ったりします。

でも今日までの日々を全て振り返ることができないほど、怒涛の17年だったし、この数年は、もっと詰め込まれた感じ。

自分で考えて動いているようで、受け身で動かされてきた数年でした。

それでも何かは生み出せた数年。新橋だけだった15年からエリアが広がった17年。

事業も拡大というか変化した。

正直に書きますと、

「これ、何のためにやってるんだろう」

そう思ってしまう時もあった気がします。

それでも今、ここに立っているのは、現場にいたから。

毎日出会うお客様を幸せにしたい、幸せになってほしいって思って。

そしてその度にお客様から頂ける笑顔やお言葉で自分の立ち位置を再認識される毎日だった気がします。

毎年、作るTシャツは歴史を背負うシャツにしています。

働いてくれて来たスタッフの名前を背中に刻む。積み重ねを感じてもらえるように。

そして必ずその時の感じたスローガン的な言葉を入れてきました。

多くは音楽から響いた言葉を。

今年は「WOW WAR TONIGHT 」から頂いた言葉。

【Getting better Begin to Make it Better】

解釈はそれぞれだろうけど「悩んでいないで、やってみよう」

そんなイメージです。

breweryを始めたり、会社の組織も変動させたり、店舗拡大、譲渡、閉店・開店など。

本当に自分でも驚くほどのムーブメントを起こしてきた1年。

この曲の歌詞を何度も聞いて帰宅した1年でした。

苦しくても音楽を楽しめるならまだ大丈夫。

そうやって終電で帰ってます。

僕が思うよりも多くの方が僕を支えてくれてる、

そんな気もしています。

涙もろくなってもう何年も経ちますし、色々ありますが、

これからも家族とスタッフ、お客様に感謝しつつ、

今まで通り楽しく生きていけるように頑張りたいと思います。

以下、歌詞と、今の気分書いときまーす。

【PV】【歌詞付き】H Jungle with t - WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント〜【HD】【FLV】 - YouTube

たまにはこうして肩を並べて飲んで

ほんの少しだけ立ち止まってみたいよ

純情を絵に描いた様な さんざんむなしい夜も

笑って話せる今夜はいいね…

【皆で飲むとか遊ぶとか、集まるとか、全部できなくなった日々だけど

最近少しずつ出来て、改めてその幸せを感じてます】

 

温泉でも行こうなんて いつも話している

落ちついたら仲間で行こうなんて でも

全然 暇にならずに時代が追いかけてくる

走ることから 逃げたくなってる

【夏フェスもみんなで行けた。忙しいけど、そんな時間も大事にして

若いスタッフにも頑張ってるスタッフにもちょっとした息抜きできる組織にしたい】

 

※Wow- WowWar- WowWar tonight

Wow- WowWar- WowWar forever

Wow- WowWar- WowWar tonight

Wow- WowWar- WowWar forever※

【たぶん、自分との闘いっていうことなのかな。ずっと続くんだろうな。

それでもお客様やスタッフが楽しそうにしていたら◎だよね。

それは独立していても変わらないし、10年ぶりに来てくれたお客様でも

新しいお客様でも嬉しさは本当に変わらないんだよね】

 

優しさに触れることより ふりまくことで

ずっと ずっと 今までやってきた

それでも損したなんて思ってないから今夜も

何とか自分で自分を守れ

【先輩方・友人に応援されて独立できた自分。

だからこそ、自分のスタッフにもその夢を叶えてほしいし、

独立しなくても何か夢が叶う店でありたい。

そんな思いでやってきた。だからこそ、14人の独立者がいたり、

ソムリエがたくさん誕生できたのかなって思う。

多くの方々からは、大丈夫?とか言われるんだけど・・・

良くわからないんですが、せっかく出来るようになったスタッフだけど、

彼らの将来が豊かになるんだったらそれが一番うれしいなって。

だから損したなんて思わないから、そこからはまた自分との闘いだって思う。


Hey Hey Hey 時には起こせよムーヴメント

がっかりさせない期待に応えて 素敵で楽しい

いつもの俺らを捨てるよ

自分で動き出さなきゃ 何も起こらない夜に

何かを叫んで自分を壊せ!

【僕ってなんもできない人です。だからいつも何かをしてないと

動けなくなるような恐怖感があります。

時には壊したり、壊されたりしながらも何か動いていると

何かが生まれていくのを実感しています。

スタッフにもそんな気持ちを伝えていければと】

 

Getting better Begin to Make it Better

思えばlove songなんて歌って見るとき

必ず目当ての誰かがいた様な…

それでもなにかの役にはたってる 人生の…。

流れる景色を必ず毎晩みている

家に帰ったらひたすら眠るだけだから

ほんのひとときでも自分がどれだけやったか

窓に映っている 素顔を誉めろ

【悩んで止まるのはダメだ、みんな悩んでいるから。

止まったら負けだ、そう思っている。

疲れ果てて寝落ちしてって繰り返すんだけど、

たまに自分をほめてほしい。今回の面談でも全員をもちろん感謝を伝えている。

コロナ禍でみんなそれぞれつらい気持ちは味わっているし、チャレンジをしている。

そんな自分をまずは褒めてあげてほしい、その上でまた明日笑っていきたい】

 

いつのまにやら仲間はきっと増えてる

明日がそっぽをむいても走りまくれよそうしてたまには 肩を並べて飲もうよ

Getting better Begin to Make it Better

【何かを続けていけば誰かが見てくれる。

吉田拓郎のイメージの詩の中にもそんな歌詞があるよね。

たとえ、何かがうまく行かなくて、人が去っていく時があっても

明日は来るし、それ以外にもみんないる。

また氷が解けて酒が飲めるようになれたらいいし、また一緒に仕事できれば楽しいし。

そうじゃなくても元気でいてくれたらいい。

だから悩みすぎず、誰も憎まず、前に進みたいよね】

フィロとvivaのこと。

オケイは11月末決算。無事なのかどうか、良くわかりませんが、まずはこうして今期を終えられたことがとても嬉しい。

お店を初めてから、1年が過ぎるのが嬉しいというか、ホッとする。昇給やボーナスの時期だし、会社としてもスタッフと対話する時期の一つ。ありがたいことにいい仲間がいるしね。コロナ禍が少し落ち着き、久しぶりに賑やかな12月になりそうだし。

さて、昨日、「発表」しますって書いた話を書きますね。

2個ありますので。

①まず、高輪台にあるフィロについて。

この場所はオケイ初代シェフ中田洋平から受け継いだ場所で、まだ1年も経ってません。ただ、予想の遥か先くらいの猛烈に人気店になりました。

外川シェフが心を込めてお料理を作り、心からの接客をしているからこそ、そうなったのは間違いありません。愛情や気持ちは、お食事や言葉の一つ一つ、雰囲気で伝わり、オレンジ色の温かさとして伝わっていくんだと思います。

このお店を2023年3月~4月を目途に外川さんに譲渡することとなりました。これは本人からの申し出により、片寄が受諾した形。

それ以降は僕の手から離れ、独立したお店して運営されていきます。

コロナ禍でお店を出店するというリスクや独立への恐怖心が飲食業界へ巡っていた時期。僕としては15人の独立者がいるペースやその「野望」を止めたくないなって思っていて・・・。そこでまずはオケイのお店として出店し、そのお店を譲渡できないかなって思ったのがこのフィロでした。その新しい独立の在り方の初めての人となります。

オープン当初は片寄もかなりシフトに入っておりましたが、昨年夏前くらいから譲渡の話をしてきたので、だんだん自分の色はなくしてきたので、殆どのお客様は何も変わらずにフィロに通ってくれると思います。

現在のスタッフの本村さんもそのままフィロへ転職というか転籍になりますのでよろしくお願いします。

②もう一つはvivaの話。

オケイ歴としたら長ーくいてくれた武田が2023年3月から4月を目途に退社し、高輪台フィロへ転職します。ということで、フィロは外川シェフがオーナーとして独立し、武田、本村がスタッフとして加わり最強3名で運営することとなりました。ますます良いお店となるでしょう。

武田に関しては、オケイという会社の中で一番のサービスマンだと思います。僕とはキャラ被りであまり一緒のお店で働くことはないようにしていました。

今回、外川さんからの猛プッシュで武田もフィロに行く決断をして、オケイからは残念ながらいなくなってしまいます。こればっかりは、最終的にはスタッフたちが決めることですし、僕がどうこうという話ではありません。

決まってことであれば、それを受け入れ、新しいことへのチャレンジを考えていくことです。彼女たちのチャレンジを応援するしか、僕に出来ることはありません。

同時に、シェフ綿引(ワッキー)も2023年3月を目途に退社します。ワッキー徳島県へいったん移住し、全く違うエリアで「何かを」学んできます。

コロナ禍で高知へ研修に行ったワッキーは四国や田舎に対してポジティブな印象を持ち、今回の大きな決断となりました。思い切ったことだけど、頑張ってほしいな。

時期に関してはたまたまこの3名の時期が被ってしまっているのは、些か困ったものですが、これも個人の自由であり、僕が決められるものでもありません。

ということで、viva!okeiは誰もいなくなってしまいます笑

それにより、色々と社内でも動きを取らなければなりません。いっそのこと閉店しようかとこの数か月考えていました。

魂ない人がやっても難しいだろうし、武田のために作ったvivaだから、、とか。

ただ、やっぱり閉店しません。だってコロナ禍で沢山の方が応援してくれて、存続が出来たお店ですから。そう簡単に潰すわけにいかないです。

でもまだあまり大きなことは決まってません。募集もこれからです。

そんなこと言っていたら、数年前に退社したスタッフが戻ってきました。ありがたいことです。色々あって退社したんですが、僕も沢山の人に許してもらって生きていますし、オケイで働きたいっていう気持ちを伝えてくれるって幸せだなって思いました。

新橋のピッツェリアとviva。いろんな在り方を考えて運営していければなって思ってます。もちろん、常連さんや仲間からは、古株スタッフがいなくなれば、寂しがられますし、現実にお店に来なくなる方も多いです。これは、複数店舗をやるってことを選んだ時点で起こることですし、しょうがないこと。

来てくれる方、働きたいって思ってくれる方とともにやってきたのが、この17年。

これからも変わらず、新しいお店を作っていくつもりです。

そういう意味では現在存在しているフィロも含めた6店舗はほとんどがそれぞれの地域に密着し、新しいお客様で賑わっています。幸せなことですね、本当に。

これから出会う、新生vivaのスタッフに会えるのをワクワクして過ごしますわ。

これから数か月はまだ武田もワッキーもいますので、ぜひカラカイに行ってあげてください。

細かい時期やその後のビバは?などの質問はされても決まってませんので、温かく見守ってください。

ってことで、また個人個人へのキモチなどはブログに書きます。

あ、一応12月以降は沢山ブログ書く予定笑

 

独立記念日&結婚記念日

今日11月1日は2つの特別な日。
17年前に新橋の物件を契約した日。
独立記念日とも言えます。
初めてお店を出した日は12月9日で、パーティを行ったりするのですが、
この日は公には何もない日なんだけど、
実は自分ではとても大きな日なんですよね、やっぱり。
29歳の自分は契約のために660万円を現金で不動産屋に持っていった。
鞄を取られたら終わりだと思いながら・・・。
広告代理店の先輩や同級生がお金を工面してくれた。
その日に鍵をもらい、改装前の自分のお店に入り、カウンターに座った。
「ついに始まってしまった」
そう声が出たのを昨日のように覚えている。
それから1か月、ほとんど毎日、神大同級生が手伝いに来てくれた。
毎日毎日、僕が頼んだことは全部やってくれた。
それは今でも変わらず、お店を出したりすれば、何か手伝ってくれる。
無償の愛情って存在するんだなって、こうしていろんなタイミングで
感じてこれたのは、僕の人生を豊かにしてくれている出来事。
今までなかったお店が出来上がっていくこと、すごい特別でした。
この日がなければ、今はないわけだしね。
沢山のスタッフやお客様とであることはなかった。
それだけで幸せだと言い切れます。
あれから17年間、沢山のことを経験してきました。
変わったこと、変わらないもの。
大事なのは今だし、未来なんだけど、こうして過去をしっかり覚えていたり、
目をつむれば、あのカウンターを思い出せる自分でありたいと思います。

そして、今日は妻との7回目の結婚記念日。
結婚式は4月ですが、入籍したのは11月1日。
「11月1日にしようよ、独立記念日だし」
そう提案してくれたのは妻。僕はいつでもいいって思っていたんだけど、
妻が大事な日と思ってくれていたことが嬉しかった。
この数年で多くのことが目まぐるしく変わっていく中で、
それを見守ってくれている人。
毎日遅くても早く出かけてしまっても、起きて待ってくれている人。
一緒にご飯を食べるだけで幸せそうにする人。
いつも幸せにしてくれる人です。
僕みたいに好き勝手やっている人についてきてくれる人。
7年前に言ってくれた言葉を今でも覚えてます。

「一緒の家に帰れるだけで幸せよ、私は」

改めて2人と1匹の家族ですが、大切にしてきたいと思います。

父誕生日とええねん、トータス松本さん

昨日が富士に住む親父の誕生日。豪徳寺で出会ったお客様、友人みたいな先輩がSNSで富士山をアップしていたのを見て、連絡をしてみた。

そしたら【大事な人には死んでから会っても意味がないからこないだ会ってきた】って言っていた。

ソワソワして、親父に会いに品川から新幹線に乗るとこで、トータス松本さんに遭遇。

帽子とマスクでもすぐわかりました。悩みましたが、一生ないだろうから、声かけました。

【トータスさんですよね】

お弁当片手に【はい】って答えてくれた。

人も沢山いたけど、足止めてくれて.少し話を聞いてくれました。

【僕、ええねんを聞いて、飲食独立したんです.あ、広告代理店にいたんですけど】

そしたら

【おーおめでとう】ってニコニコしてくれて.

おまけに

【どこの代理店?】何で会話してくれる、世に言う神対応

しかも、ご自分から手を出してくれた!

【頑張ってなー、ありがとね】

写真お願いしたんだけど、さすがに人多いから厳しそうでした、当たり前。。

そして最後に

【あ、名刺とかある?】って言ってくれて、震えてお渡ししました!

検索してくれたらブログとかあります!ええねんで検索したら!

って話したら【おーわかったよ】

って、、、

あーこの話、死ぬ時も覚えてるよ

夢叶って、続けてきて、そのキッカケをくれた曲を作った人に感謝を直接言えたことの奇跡.

幸せな気分って泣いて、新幹線乗りましたー。

親父と鰻を食べて自宅に。事前に【話したいことがある】そう言われていたから何となくわかっていた話は、相続や老後、墓。1番は【自分達はもう判断が正しいとは言えなくなるから、お前が判断して動いて、老人ホームなどに入る時期も考えてほしい】と言うこと。

いよいよ、そんな時だなと改めて生きていく意味を感じたりした。幸せそうに暮らす親父と町子さん.2人が結婚したのは、大学生くらいだからもう25年は経つかな。永遠はないけど、2人を愛おしく感じます.支えなきゃ.そんな気分で後ろ髪を引かれながら新幹線で帰るため、また新富士駅へ.

そこで行きにFBにアップしたトータス松本さんへの感謝投稿を見ていたら、京都の友人から

【今日の生ラジオにメッセージ入れといたよ、品川で会った仲間が泣いて喜んでましたって】と、連絡あり。なかなか気がきくじゃん!って思っていたらなんと、放送された!って。。。

で、長い間、その話とええねん歌詞について語っていたって。。。、まじまじまじ!って急いでradikoで聴きました、、、

Got You OSAKA(15時台) | FM COCOLO | 2022/10/30/日 | 15:00-16:00 http://radiko.jp/share/?t=20221030150035&sid=CCL

新幹線に乗り、おじさん、号泣、、、奇跡すぎて、、、

トータス松本さんも改めて歌詞を朗読してみたと。


後悔しても ええねん

また始めたら ええねん

失敗しても ええねん

もう一回やったら ええねん

前を向いたら ええねん

胸をはったら ええねん

それでええねん それでええねん


自分が考えているより、確かに背中を押してきたのかもしれないなって、曲の創作秘話交えながら話してました。

最後には、【頑張ってなっ】って言ってくれて。。。

18年前に飲食独立するって言ったら、親父は猛反対。代理店で評価されてるんだから、そんなリスクいらないっみたいな、、、だいぶ連絡取りづらかった。。、

そんな時、背中を押してくれた【ええねん】

18年後に、80歳になった親父が気になって急に行くのを決めた日に、トータス松本さんに会い、感謝を伝えられて、なおかつ、また背中を押してもらえるって、どーいう奇跡なんだろうか。。。

帰りの新幹線は、また号泣47歳。。。

ドキドキが止まらない日です、、、このradiko、一生保存。

オケイブルワリーのスタッフのことを書きました

先日、breweryのインスタに急に投稿した内容をこちらにもアップしておきます。

また、以前田中のことを書いた内容も合わせてアップしておきます。

 

【藤田がいなければOKEIBREWERYはありませんでした】
実は、藤田がいなければOKEIBREWERYはありませんでした。
新橋駅前ビルにて日本ワイン専門居酒屋おけい屋を松山と僕は二人で運営していました。
その時に同ビルにあるIBクラフトビール屋にいたのが藤田。
そこに飲みに行くようになったり、話したりして仲良くなりました。
そのうちにコロナパニックが起きて・・・・
当時新橋だけで5店舗経営をしていた僕は、新橋での店舗縮小を余儀なくされ、
地下にあるおけい屋を閉店することを決断しました。
(ちなみに一番利益があった店)
新橋だけ、ワイン店だけの経営を打破していくことを決めたときでした。
エリア分散と業態分散。
新業態をどうするか、そこでクラフトビール屋はどうか、と思いました。
クラフトビール屋の雰囲気も好きでしたし、市場も大きくなっている。
しかも調べていくと、醸造も夢があるなーって。当時色んな人に話してもやめた方がいいって言われました。
だってやったことがないから。醸造士を雇わず、これから勉強するとか無謀って。
「いけるかも」
そういうネガティブなことを聞くと盛り上がっちゃうんです、僕。
みんなが躊躇するならまだまだチャレンジできる場所なんだろうって。
新業態としてセレクトしたのはクラフトビール醸造でした。
それは藤田と出会ってなければ、絶対に思いつかないアイディア。
そして、10月にオープンして、1年が経ち、藤田がオケイブルワリーにいるってことが
すごい不思議な縁というか、考え深いなって思っています。
彼がいなければ、考えもつかないお店・工場だった場所に、
今はその藤田が店長としてお店を名乗り奮闘してくれている。
アルバイトの中にも「藤田さんがいなければ働いていません」そんな子もいます。
彼がお店にいるということだけで、会いに来る方がたくさんいること。
ずさんだったり、ダメなところはあります笑
ただ、真面目で仕事が好きで、ビールが好き。
何よりも人が好きだから、人に好かれるのだと思います。
スタッフの中でも一番クラフトビール業界に精通している人。
ワイン・イタリアンなどの洋食業界で17年やっていますが、やはり違います。
刺激的で人のつながりがある、ウェットな業界。
そして何よりもお客様が温かく愛情深い。そんなイメージを1年で感じています。
お店って、人で変わります。
人というのはスタッフとお客様どちらもです。
工場を併設した初めてのbreweryで躍動感があり、温度が高いお店として運営できているのはやはりお客様が僕らを温めてくれているからだと確信しています。
そしてのその中に、「クラフトビールとの出会いをくれた人 藤田」がいることが
僕にとってはとても嬉しく、出会いを大切にこれからもしていこうと思う一つの出来事です。
売上報告が毎日あるんですが、一番思いを伝えてくれるのが藤田です。
サービスに対しての思い、反省、未来。それを常に考えている人。
休みの日も知り合いの店に顔を出す。そんなことを当たり前のようにずっとしてきた人。

全く新しい会社に来てくれた藤田に感謝をしつつ、数年後にでも
「オケイに入って良かった」
そう思ってもらえる会社になりたいと思います。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。
これからも藤田とオケイブルワリーをよろしくお願いします。

【以下田中について書いた内容】

3月1日に入籍をしたシェフである田中さん(昨日から瀧田さん)
実はオケイ入社してまだ2年目になった所。
歴は短いけど、スタッフからの信頼され、尊敬される人。
前会社までガッツリフレンチ。以前働いていたお店がコロナ禍で閉店を機に
就職活動をしていて出会いました。
面接に来たのは、松山と一緒にやっていたおけい屋という居酒屋。
次に就職するところは、フレンチにこだわらない大衆的な店と決めていたらしい。
とはいえ、履歴はフレンチガッツリだから大丈夫かな?
というか、こんなまともな人がオケイに来る?笑なんて思った印象。
後日談としては、彼女的には「すべての料理を自分でやらせてもらえそう」という意味で
オケイをセレクトしてくれたらしい。
入社して間もなく、彼女の温かさや心遣い、何よりも料理を出来る喜びに満ちた笑顔。
マスクをしていてもわかる喜びを肌で感じるようになりました。
今まで閉ざされたキッチンでやる事も多かったし、チームで料理を作る事も多かった。
その分いろんな経験はできただろうが、やはりすべてを作ることはできない。
オケイでは全部やっていい。やらなきゃいけない。
そこを楽しんでくれることが何よりも嬉しかったなー。
そして今でもそうだが、賄が死ぬほどうまい。そこに愛情があり、スタッフのこともお料理で魅了するのです。
与えらえた環境で100%以上を出してくれたり、自分が躍動してる姿を多くのスタッフやお客様に伝えることを惜しまない。
僕にとって、これほどバランスの取れている料理人は貴重です。
OKEIBREWERYをいよいよ出店するというタイミングで人選を行っていた自分。
おけい屋を任していた田中さんでしたが、新しい事業をするにあたり万全で望みたいキモチで打診しました。やってくれないか、と。
ワインでもないし、フレンチでもない。それでも彼女は新しいチャレンジを快く受け入れてくれました。
おけい屋の中心であった松山と田中がこれで抜けることが決定し、
僕にとって大切なおけい屋というお店が閉店する腹がくくれた瞬間だったかもしれない。
大切なお店を失くしてでも、OKEIBREWERYをいいお店にしたい気持ちが強かった。
そのためにどうしても田中が必要だったということです。
裏話としては。田中の取り合いが社内でありましたね。
出店計画が色々あったんで、Vivaokeiでも田中を欲していましたし、豪徳寺でも。
どこでも田中の名前が挙がりましたが、僕は日暮里に決めていました。
まっさらのお店のスタートを彼女と切ってみたかった。
松山を醸造に専念できる環境にしたかった。
キッチン配置など全てを彼女が決めたらどうなるだろうって楽しみがあったのかも。
現実に彼女が考えたスモールキッチンは田中の主戦場となり、自分が考えた場所で抜群に
楽しそうにしているのを皆さんも見ていることでしょう。
田中がいいのは、楽しそうなところ。
お料理ができる環境がそうさせているのだろうが、それが自然とだろうか。
僕はそう思っていない。
楽しむ努力を惜しまないの。
あまり勘ぐってはいけないのだが。辛い時でも笑おうと努力しているように見える。
空気を作ろうって考えてくれている。
料理人として生きる中では、その優しさや温かさが大切なことだとわかっている。
自分の場所を得るためにも必要だし、自分が求めるお料理を提供するにもその空気を作る努力が不可欠だと知っているんだと思う。
そういう意味で僕はバランスが良い人、料理人だと尊敬している。
皆さんも気づいているだろうけど、彼女の挨拶は実に爽やかで軽快。
おはようございまーす。こんにちはー。
その言葉で人を寄せ付ける魅力がある。
出来そうで出来ないこと。
その言葉で始まるお店はオレンジ色に輝き、笑顔で包まれる。
松山も藤田もアルバイトの皆さんも、悩みがあったり、疲れていても、田中の言葉で少し保たれているんじゃないか。
先日、田中に「松山とずっと一緒で少し嫌になったりしない?」って聞いてみた。
どんなに相性が良くたって、ずっと一緒の人とだけやっていると色々思うことがあったりするじゃないですか。
だから心配になって。
そしたら「全然、問題ないです、楽しいです!」って言っていた。安心したなー。
その話を松山にしたら、すごい嬉しそうだったなー。人に頼って頼られて。
そんなありがとうの連呼がこの場所にはありますね。

明日からもまた元気のいい田中、あ、瀧田がいます。
あの至福のカウンターを取り合ってくださいね、限定4人だから。
あそこに座りたい人がどんどん増えてますからね。
お電話で田中さんの前がいいって言ってあげてください。
抜群の笑顔が見れますよ。

そんな田中が大好きです