okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

オケイブルワリーのスタッフのことを書きました

先日、breweryのインスタに急に投稿した内容をこちらにもアップしておきます。

また、以前田中のことを書いた内容も合わせてアップしておきます。

 

【藤田がいなければOKEIBREWERYはありませんでした】
実は、藤田がいなければOKEIBREWERYはありませんでした。
新橋駅前ビルにて日本ワイン専門居酒屋おけい屋を松山と僕は二人で運営していました。
その時に同ビルにあるIBクラフトビール屋にいたのが藤田。
そこに飲みに行くようになったり、話したりして仲良くなりました。
そのうちにコロナパニックが起きて・・・・
当時新橋だけで5店舗経営をしていた僕は、新橋での店舗縮小を余儀なくされ、
地下にあるおけい屋を閉店することを決断しました。
(ちなみに一番利益があった店)
新橋だけ、ワイン店だけの経営を打破していくことを決めたときでした。
エリア分散と業態分散。
新業態をどうするか、そこでクラフトビール屋はどうか、と思いました。
クラフトビール屋の雰囲気も好きでしたし、市場も大きくなっている。
しかも調べていくと、醸造も夢があるなーって。当時色んな人に話してもやめた方がいいって言われました。
だってやったことがないから。醸造士を雇わず、これから勉強するとか無謀って。
「いけるかも」
そういうネガティブなことを聞くと盛り上がっちゃうんです、僕。
みんなが躊躇するならまだまだチャレンジできる場所なんだろうって。
新業態としてセレクトしたのはクラフトビール醸造でした。
それは藤田と出会ってなければ、絶対に思いつかないアイディア。
そして、10月にオープンして、1年が経ち、藤田がオケイブルワリーにいるってことが
すごい不思議な縁というか、考え深いなって思っています。
彼がいなければ、考えもつかないお店・工場だった場所に、
今はその藤田が店長としてお店を名乗り奮闘してくれている。
アルバイトの中にも「藤田さんがいなければ働いていません」そんな子もいます。
彼がお店にいるということだけで、会いに来る方がたくさんいること。
ずさんだったり、ダメなところはあります笑
ただ、真面目で仕事が好きで、ビールが好き。
何よりも人が好きだから、人に好かれるのだと思います。
スタッフの中でも一番クラフトビール業界に精通している人。
ワイン・イタリアンなどの洋食業界で17年やっていますが、やはり違います。
刺激的で人のつながりがある、ウェットな業界。
そして何よりもお客様が温かく愛情深い。そんなイメージを1年で感じています。
お店って、人で変わります。
人というのはスタッフとお客様どちらもです。
工場を併設した初めてのbreweryで躍動感があり、温度が高いお店として運営できているのはやはりお客様が僕らを温めてくれているからだと確信しています。
そしてのその中に、「クラフトビールとの出会いをくれた人 藤田」がいることが
僕にとってはとても嬉しく、出会いを大切にこれからもしていこうと思う一つの出来事です。
売上報告が毎日あるんですが、一番思いを伝えてくれるのが藤田です。
サービスに対しての思い、反省、未来。それを常に考えている人。
休みの日も知り合いの店に顔を出す。そんなことを当たり前のようにずっとしてきた人。

全く新しい会社に来てくれた藤田に感謝をしつつ、数年後にでも
「オケイに入って良かった」
そう思ってもらえる会社になりたいと思います。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。
これからも藤田とオケイブルワリーをよろしくお願いします。

【以下田中について書いた内容】

3月1日に入籍をしたシェフである田中さん(昨日から瀧田さん)
実はオケイ入社してまだ2年目になった所。
歴は短いけど、スタッフからの信頼され、尊敬される人。
前会社までガッツリフレンチ。以前働いていたお店がコロナ禍で閉店を機に
就職活動をしていて出会いました。
面接に来たのは、松山と一緒にやっていたおけい屋という居酒屋。
次に就職するところは、フレンチにこだわらない大衆的な店と決めていたらしい。
とはいえ、履歴はフレンチガッツリだから大丈夫かな?
というか、こんなまともな人がオケイに来る?笑なんて思った印象。
後日談としては、彼女的には「すべての料理を自分でやらせてもらえそう」という意味で
オケイをセレクトしてくれたらしい。
入社して間もなく、彼女の温かさや心遣い、何よりも料理を出来る喜びに満ちた笑顔。
マスクをしていてもわかる喜びを肌で感じるようになりました。
今まで閉ざされたキッチンでやる事も多かったし、チームで料理を作る事も多かった。
その分いろんな経験はできただろうが、やはりすべてを作ることはできない。
オケイでは全部やっていい。やらなきゃいけない。
そこを楽しんでくれることが何よりも嬉しかったなー。
そして今でもそうだが、賄が死ぬほどうまい。そこに愛情があり、スタッフのこともお料理で魅了するのです。
与えらえた環境で100%以上を出してくれたり、自分が躍動してる姿を多くのスタッフやお客様に伝えることを惜しまない。
僕にとって、これほどバランスの取れている料理人は貴重です。
OKEIBREWERYをいよいよ出店するというタイミングで人選を行っていた自分。
おけい屋を任していた田中さんでしたが、新しい事業をするにあたり万全で望みたいキモチで打診しました。やってくれないか、と。
ワインでもないし、フレンチでもない。それでも彼女は新しいチャレンジを快く受け入れてくれました。
おけい屋の中心であった松山と田中がこれで抜けることが決定し、
僕にとって大切なおけい屋というお店が閉店する腹がくくれた瞬間だったかもしれない。
大切なお店を失くしてでも、OKEIBREWERYをいいお店にしたい気持ちが強かった。
そのためにどうしても田中が必要だったということです。
裏話としては。田中の取り合いが社内でありましたね。
出店計画が色々あったんで、Vivaokeiでも田中を欲していましたし、豪徳寺でも。
どこでも田中の名前が挙がりましたが、僕は日暮里に決めていました。
まっさらのお店のスタートを彼女と切ってみたかった。
松山を醸造に専念できる環境にしたかった。
キッチン配置など全てを彼女が決めたらどうなるだろうって楽しみがあったのかも。
現実に彼女が考えたスモールキッチンは田中の主戦場となり、自分が考えた場所で抜群に
楽しそうにしているのを皆さんも見ていることでしょう。
田中がいいのは、楽しそうなところ。
お料理ができる環境がそうさせているのだろうが、それが自然とだろうか。
僕はそう思っていない。
楽しむ努力を惜しまないの。
あまり勘ぐってはいけないのだが。辛い時でも笑おうと努力しているように見える。
空気を作ろうって考えてくれている。
料理人として生きる中では、その優しさや温かさが大切なことだとわかっている。
自分の場所を得るためにも必要だし、自分が求めるお料理を提供するにもその空気を作る努力が不可欠だと知っているんだと思う。
そういう意味で僕はバランスが良い人、料理人だと尊敬している。
皆さんも気づいているだろうけど、彼女の挨拶は実に爽やかで軽快。
おはようございまーす。こんにちはー。
その言葉で人を寄せ付ける魅力がある。
出来そうで出来ないこと。
その言葉で始まるお店はオレンジ色に輝き、笑顔で包まれる。
松山も藤田もアルバイトの皆さんも、悩みがあったり、疲れていても、田中の言葉で少し保たれているんじゃないか。
先日、田中に「松山とずっと一緒で少し嫌になったりしない?」って聞いてみた。
どんなに相性が良くたって、ずっと一緒の人とだけやっていると色々思うことがあったりするじゃないですか。
だから心配になって。
そしたら「全然、問題ないです、楽しいです!」って言っていた。安心したなー。
その話を松山にしたら、すごい嬉しそうだったなー。人に頼って頼られて。
そんなありがとうの連呼がこの場所にはありますね。

明日からもまた元気のいい田中、あ、瀧田がいます。
あの至福のカウンターを取り合ってくださいね、限定4人だから。
あそこに座りたい人がどんどん増えてますからね。
お電話で田中さんの前がいいって言ってあげてください。
抜群の笑顔が見れますよ。

そんな田中が大好きです