okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

浦和レッズ

僕は浦和レッズが好きだ。
言わずと知れたサッカーJリーグを現在一位で独走するチームである。

レッズと出会ったのは、2001年。
始めはサッカーを見に行きたかっただけであったが、ハマッテシマッタ。

小学校からサッカーをはじめ、中学高校と部活でやり、大学では母校のコーチや臨時監督やみんなでチームを作って草サッカーに勤しんでいた。

そんな僕は海外のサッカーを見続け、高校最後にJリーグが始まった。

イタリアやドイツ、ブラジルのリーグの観客の熱狂度合いはものすごい。
ビデオでしか見たことがないが、憧れていた。

そして初めてレッズを見に行った時、それがゴール裏にあった。

太い声での声援、手をたたく音や数万人が跳ねてゆれるスタジアム。

時には発炎筒までたかれる始末。

そして勝っても負けても試合前後の浦和は大騒ぎ。

白木屋だろうがワタミ吉野家までもレッズの旗が飾ってある。
要するにレッズで成り立っている街に感動した。

家屋にもいたるところにレッズの旗が飾られ、子供からおばあちゃんまで
マフラーをして歩く。

本当に感動した。

それ以来僕はレッズを愛している。
選手ではなく、まずはクラブを愛してる。
そして応援する彼等を愛している。

たぶん、浦和は離婚率が少ないのではないか?
街には浦和を愛する家族が溢れている。
週末のレッズの話で一週間話が途絶えることはない。
週末席取りをするお父さん。
週末お弁当を作るお母さん。
週末、サッカー部が終わった後にスタジアムに来る子供たち。
誕生日にはユニフォームをねだる子供。

たまに他会場へ小旅行で家族旅行をかねる。

そんな生活が目に浮かぶ。

浦和レッズ
それは浦和に住む人達の心に残る唯一のもの。
そして住みたくなるというよりは、レッズの近くにいたくなる街。

okeiという店がどっかの団欒やどっかの飲み会や
会社の雑談に登場する時があれば幸せ。

そこには少しだけ、ほんの少しだけ浦和レッズみたいだから。