okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

碧色

毎日のように新たなスタートと思っているような自分。
でも今日は特別。
数か月前から今日からまたこのブログを思い切って書き始めようと決めていた。

ずっとokeiにいてくれる、碧が産休のため、一時休職。
6年という歳月を馬車馬のようにokeiに力を注いでくれた。

彼女への感謝を示さなければならないと思った時、
まだ常連さんだった彼女がこのブログを見てくれていたことを思い出した。

当時はまだこのお店も今とは違った。僕の個人店という要素。ここに書くこともためらいもなかったが、少しずつ
環境が変化してこのブログを書きづらくなった。反響が大きいことはいいことだったが、少しネガティブになってしまった。
何度か再度書いていたが、辞めてしまった。

そしてこれを機に、自分の道標として書き始めたこのブログをはじめようと思う。

碧は、このお店に来るべきだったのか。それはわからない。
ただ、okeiというお店が好きだから、すべてを捨ててきてしまったから。

そして彼女に言わせれば、捨ててしまったものは戻ってきて
それから溢れる仲間や経験や未来をokeiで手に入れたのだという。

彼女は店長マネージャーというポジションに最終的になったが、
結論、管理していく仕事をトップでやっていく人じゃない。
これは二人で話していてもそういう見解だった。

やはり僕の様な全部自分で出来ないけど、やりたいことがあって
それをサポートする2番手が彼女は好きであり、やりがいを求める。

碧が人前で恥ずかしげもなく、テーブルをたたきながら、泣きじゃくり
いやだいやだいやだと、わめいたことがある。

PIZZERIA BAR okei を大改装し、全てビストロにすること。
そして3階のカウンターをなくしてこれまた大改装すること。

okeiを失ってしまうような感覚になり、大変だった。

僕はその時、僕を超えてこのお店を愛している人なんだと思った。
何度も怒鳴り散らしてきたが、彼女と話し合えたこと、作り出したこと。

それが本当に形になっているのが実感している。

正直に言うと、今寂しい。
辞めたわけじゃないけど、片腕を失った感じになる。

彼女がこの会社にしてきてくれたことは
決して目立つ者ではなく、決して誰かに褒められることをしてきたことだけじゃない。

誰にもわからないけど、ただただ、僕が仕事をしやすくするようにしてくれたことばかりだった。
自分はそんなに人のために仕事ができるのだろうか。

好きな空間のためにすべての時間を費やし、スタッフに嫌われる立場に自らなれるだろうか

これから大仕事の旅に向かった碧を応援するとともに
また共に仕事を出来たら幸せだなと思う。

今のokeiというお店。okeyという会社のメンバーは
今日から新たな旅立ち。

皆が成長する空間がぽっかり空いた。
それを埋めあう中で衝突やいらだちや苦しみがあるかもしれない。
それもまたokeiでありokey。

11年目というものが改めて認識する、碧の休職であり、このブログの再開を感謝する。