okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

豊洲子ども食堂を終えて。

江東区にある豊洲子ども食堂とご相談して昨日オケイの無料ご飯配達をしてきた。

ピッツァ、美味しい野菜、スコッチエッグを50人分。

コロナ感染防止、緊急事態宣言中ということで、各家庭への配達ということになりました。ご協力いただきました関係者の皆様、ありがとうございました。

そしてお休みの中、ボランティアとして働いてくれたOKEIのスタッフにも感謝です。ここうした活動というのは初めてでした。

寄付や募金、ボランティアとしての金銭提供は独立以前以後も続けています。

海外で恵まれない子供を2名育てたり、災害時への寄付のために休日を営業し全額寄付、単純に200万円寄付とかね。色々やってきたけど全く別世界でした。

今回、一緒に取り組んだ豊洲子ども食堂

もちろん皆さんボランティアだし、継続してずっとこうした支援を行っている。

資金や支援物資を各商店街の一人一人にお願いをしたり。

今回配達している間にも各店に声をかけて挨拶をしてお礼を欠かさない姿勢。

そもそもボランティアなのに、みんなに頭を下げて歩く。そしてまたお願い。

自分のためではないのに。

プライバシーやいろんな問題を抱えながら名簿を整理している姿も泣けてきた。

今は住所や電話、名前すら公表することや色々問題があるでしょ?

その賛否がある中でも、それらを誰かに見られます!でも支援をするためだから!と各家庭に話しているそうです。

色んなものを守っていては、守れないことがあるってことですね。

ネット情報は全くというわけではないけど、効果的ではないそうです。

各家庭に行って状況を確認したり、電話したり、ビラを配ったり。

もちろん、良い顔をされないこともあるし、迷惑がられることだってあると思う。

今回も急にキャンセルとかもありました。

普通ならイラっとするのかなーと思いますが、誰もしません。

要するにある程度の行動をすれば、思いとは違うことも起きる。

でも救える命が確実にあるというのが大切で、誰かがそれをしているから

日本という国が成り立っているんだと確信しました。

いま日本が色んな批判をされている所ですが、こうした方々が沢山日本にいる。

それが感じることができて自分自身は捨ててもんじゃないぞ!日本!って思います。

休日返上で誰かのためになることをする。

それって言葉は簡単だけど継続的にできる人ってすごいと思う。

僕はお金だけを寄付してきたけど、1歩踏み出してよかったと思う。

実際一緒に体験してくれたスタッフは同じような気持ちになっていた。

ぼくは色んなことが家族であったけど、ごはんに苦労したという経験はない。

親が何度変わってもご飯はあった。

もちろんそれなりな苦痛はあったが、周りにも恵まれて育った方だと思う。

親や家族に感謝しつつ、自分と時間を沢山ともにしてくれた学生時代の仲間には感謝している。

食というものがどれだけ大切かという話から、最終的に人間関係やコミュニケーション。仲間という話になったりする。

そういう意味で、今自分たちが出来ることって色々あるなーとアイディアが出てくる。

近く、飲食店の方々への協力をお願いするつもり。

プロジェクトを進めるにあたり、OKEIだけでは難しいから。

まずは僕が動く。そしてその渦を広げる活動もしていかないと、救える人数が増えないから。もちろん赤字だけど、これを止める必要はないかなと。

だって必要なことだから。

もちろん、どっかではその活動をどうやってボランティアでやれるようにするかが問題で。

支援物資や支援の輪を広げていくことも必要。

でもでも、それありきでは進まないから、まずは自分たちが動いていきます。