okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

NIDO 7周年おめでとうございます

今日は元スタッフ戸羽のことを書こうと思う。
okei4年目で入社し、pizzeria bar okei、Pizzeria terzo okeiのシェフを務めてくれた。
その後、大井町NIDOを出店独立。本日、7周年を迎えた。

NIDO

050-5571-9972
東京都品川区大井1-55-12 ベルフルーレ 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1315/A131501/13182449/

戸羽は公募で入社した。
まだokeiが2店舗目を出すか出さないかってところ。
イタリアで修業し、帰国して面接に来た。
横のつながりでいくらでも自分を理解してくれている所で働くことはできたはずだった、
ただ、戸羽は公募してきた。
理由は、新しい環境を求めていたこと、もう一つは身の丈に合った場所でやりたいってこと。
要するに独立を目的として、自分が理想とする規模である10坪、少人数でやっている所。
そして経営含め、生々しい個人や小さな会社のやり方を肌で感じたいってことだった。
今でも覚えているのが、面接に座った一番奥の4名席。
そこでの面接途中、戸羽が「ちょっと厨房見ていいですか?」と言ってきた。
今でこそそういう人はいたかもしれないが、それまではそう言ってくる人はいなかったので衝撃だった。
それ以外にも「野菜はどうしているんですか」など料理人と指摘になることは全て聞いてきた。
真面目そうで、当時のokeiにとって申し分ない人だと確信した記憶がある。
採用が決まり、浜松町に住んでいた(越してきた?)戸羽。
パスタに関しての愛情がにじみ出ていたナーっ。
いつしかシェフになるってことになり、一任されてからは本当にきつそうだった。
まだ夜中朝まで営業していた時代。
終わった後毎日毎日、メニューを悩み、お客様の反応を気にしては作り変え。
激やせしていくー--わけじゃなく、毎日気づけば、コンビニ焼肉弁当を片手にテーブルで寝落ち。
そんな毎日を見ていて、「いいシェフ、というか、いい友達が出来た」そんなキモチだった。

そんな最中、okeiも拡大していった時で、ちょっともめごとや問題児を抱えたりと
片寄僕自身が疲弊してしまった時代があった。
それが頂点に達し、戸羽や他の社員にも「もう僕はお店を辞めたいんだ」と伝えたことがある。
実際本気で辞めることを考えていたりして・・・
その時、戸羽が行ってくれた言葉が今の自分を支えている。
「やりましょうよ。その分、僕らが頑張りますから。絶対続けましょう」

その後、悩みを払しょくするため、大改装をスタッフ全員で行い、休業をさせてもらい、リスタートした。
そういう意味で戸羽がokeiを救ってくれた一人であることは間違いない。

本当は今は目黒で独立しているノリ(渡辺)と2名で共同経営独立の予定で、大きな送別会もした。
結果、二人でやるっていうのは流れて別々に。
先にノリが独立したが戸羽は少し時間がかかった。
1年くらいは何をしているかよくわからなかったっけ。
後で聞いたら、色んなバイトをしていたって、携帯屋さんとか?

色んなことを考え過ぎてしまうタイプ。
料理だけでは出来ない独立、知識やお金やいろんなものが足りなかった。
それでもあきらめずに見つけたのが今の大井町
僕も内見をしたが、いい場所だなって思った。
ラーメン屋だったかな。
みんなでペンキぬったり、設計も片寄友人のイサムだったり、沢山の人の想いが詰まっている。

先に書いたように戸羽はイタリアで経験した人。
僕と出会わずともいい仲間に恵まれたであろう、人格者。
だから僕にとってはとってもいい出会いでありがたい仲間。
たぶん一生友達だろうなー。
今はお互いお店を持ち、支えるスタッフがいるよね。
だからまた分かり合えるのが嬉しい。
さっき電話したんだよね、おめでとうって。
ゆっくり一緒に飲める日もあるだろうから、話しましょう。
心からおめでとうございます。
そしてニドを大好きなお客様へもおめでとうございます。
いいお店が近くにあるって人生豊かにしますよね。
皆さんが支えてくれてとてもいいお店になったんだなって思います。
いつもありがとうございます。