okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

脱サラ 元広告代理店営業から飲食業界へ進んだ17年前の話

豪徳寺に去年出店した、アトリエドテリーヌメゾンオケイ

そちらが僕の思う感じに進んでいなかったので、今はほとんど豪徳寺にいます。

その中で豪徳寺の新しいお客様へ改めて僕や店のことなどを伝えるものを立ち上げていて、それがこちら。

note.com

そこにはこのブログにずっと書いてきたようなことを書いてみたりしてます。自分としてもまた同じ話じゃん!みたいな感じはするんですが、それが意外とよくて。

今であった人に伝えることや今興味を持ってくれた方へ伝えることってあるから。

また、前に書いた内容でもちょっと言葉尻が違うというか、自分も50歳が見えている所。やっぱり色々と見えるものも感じ方も変わってきて。

そんな意味でこちらにも同じ内容を書いておこうと思う。

 

辛いコトや嫌だったことをずっと覚えていないという、いい性格の自分。
なので、今独立時代のことを書いても意外と美化されてしまうというか丸くなって話してしまう傾向にはある。そういう意味では話半分とは言わないけど、進んだ道で起こったいい事以外には同じくらい辛いこともあったんじゃないかなって思う、そのツラ楽しい感じが今も好きなのかもしれない。
28歳の時に他の広告代理店や宣伝部からヘッドハンティングがありました。3社。給与も高くなるので転職を決意し、会社へ退職を伝えました。
ただ、担当商品のTVCM制作が始まったばかりでしたので8カ月くらいは退社をせずにいる約束になりました。
その間に、ちょっと調子こいたのかな、同じ業種への転職に?が芽生えてきました。評価されたことで天狗だったのかもしれません笑 広告業界ではない場所でチャレンジしたい気持ちが増えていきました。今思ってもあのまま転職していたら・・・たぶん僕は飲食業にはいないと思います。
その最後のタイミングだったかもしれません。
心が揺らぎだしたときに聞いたのがウルフルズのええねん。2番目の歌詞が心にぐっさり刺さりました。
後悔してもええねん
また始めたらええねん
失敗してもええねん
もう一回やったらええねん
前を向いたらええねん
胸を張ったらええねん
それでええねん それでええねん
この曲を横浜モアーズのタワレコで聞いて、泣いてCDを買い、
次の日に退職するのは変わらないけど、退職する理由が変わりました。
僕、飲み屋をやります。って。しかも30歳までに独立しますって。
2年しかない・・・。
ワールドカップサッカーを自分のお店で見るのが夢の一つだったからー。
周りはずっこけた感じでしたが、応援してくれたかな
ただ、親や仲間など心配とあまりに無謀なので失笑する感じ。
周りに飲食の人が溢れていたわけでもなく。
実は協同広告という代理店だったのですが、入社の時にも飲み屋をやりたいって言ってました笑 じゃーなんで来たんだって言われましたが笑
元々居酒屋でバイトしていて好きだったんですよね、結局あの雰囲気が。
職業とか年齢とか関係なく、カウンターに座った人たちと戯れる感じが。
その想いがずーっと自分の中にあったんだと思います。
最初に考えたのが鉄板焼き屋さん。お好み焼きが好きだから。
回り回ってイタリアンで勤務していた自分。
独立まであと1年もないことに気づき、ふとピッツァを見たらお好み焼きだった、ほぼ。それでピッツァの勉強をして、最初のお店はピッツェリアでしたー。
今では瞬間冷凍できる設備を新橋に整え、豪徳寺のお店でも真空冷凍ピッツァを販売しています。
17年経ってみると色んな決断をバシバシ意外としていますね。
今の自分にもその若さ?躍動感が足りない時があるかもしれないなー
あと1日24時間以上働いていたような気がします笑
今もそうかな笑
そう言う意味では躍動感がないわけでもなく、まー続いているってことが一番の自慢。20周年まで色々ボロボロになりながら進んでいきますよ
そして、20周年にたどり着いたら、たぶんまた辛いこと忘れて嬉しくて泣いてまーす。