文章を書くということ。
実は自分の気持ちや伝えたいことをすーと整理されるような気がする。
ペンを走らせるという言葉がとても好き。
実際にはパソコンをたたいているわけだけど。
あまり書く内容を吟味して考えて書いているというよりは、パソコンを開けてから何を書くかを決めることも多い。
そしてスーとペンを走らせるのだ。
このブログで何を売ってるわけでもなく、何のために書いているのかということもなかなか難しいのだが、自己整理と解釈しよう。
母子家庭や困窮家庭へのサポートを決めた。自分がこれだけ苦しい時期に何を始めているんだ!という声も賛否もある中で。
背景にはやはり自分の家庭環境があるのだろう。
中学1年生の時に親が離婚をした。その時は父親と姉と暮らし始め、ほどなく父に2度目の奥さんができた。急に弟もできた。
3歳くらい下だったかなー。
中3くらいまで一緒だった。僕と姉と弟。どうしても2度目の奥さんは僕らがタンコブだったんだと思う。結局、一緒にいることはできなかった。
包丁を持ち出したり、怖さもある期間が続いた。結局、家庭裁判所に委ねることになり、裁判所で話をした。僕と姉は、口を合わせた。
「母の方に行きたい」「2度目の母とは住めない、怖い」
高校生活は母親と義理父と過ごした。ここでも大きな問題がありました。
彼が僕の学校の先生であったことがとても苦しくて、。。
一緒に住めないという選択をして、僕と姉の家と、義父の家を母親が行き来していた。
ココにはいろいろとゆがみがあったなー。
と、まあ書いたらキリがないのだが、今では父はとてもいい奥さんがいるし、母はその後ずっと義理父と過ごし、2年ほど前に他界。今は自由に元気に過ごしている。
僕は複雑な過程であったが、仲間にも恵まれたし、何よりもご飯は食べることができた。家族だんらんはほぼできなかったが、1人でご飯を食べることはできた。
そんな背景が、僕を飲食業へと導いたんだと思う。家族だんらんをしてほしいというか、仲間と一緒に過ごす場所が本当に幸せだったから。
今回の弁当支援。僕の人生の中で、一番孤独だった時期を感じるんです。
先日の子ども食堂でも感じました。団地があり、沢山の人が買い物を楽しんでいる町で、孤独な部屋でいろんな家族や人生がある。
まさに僕もそう思っていました。普通に電車に乗っている中でも、羨ましいことが沢山あったし。両親といる子供たちが。でもそれでも今思えば、幸せな学生時代と言える。それは根本にはご飯があったからだと思いました。
サッカー部にも入れたし、友達もいた。悪さもできたし、おまけに大学もいけた。
何の苦労もないということだと今思う。
だから見ず知らずの人に助けてもらったんだと理解ができる時が来たら、今回支援した子供たちがどんな人生を歩むのだろうか。
それを期待するわけじゃないけど、少なくても嬉しい思いや乗り越えたということが、何かになることは間違いないと思う。
1人でもいいから、助けたいという気持ちを忘れないでいたい。