okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

松山との約束

久々にシャバに出て打ち合わせ。

クラフトビール工場について。施工担当、ボイラー、チラーなど、各スペシャリストのキックオフミーティング。
まるでTVCM制作の時のようだ。クライアント、プロデューサー、コピーライター、照明など。その制作に関わる多くの人たちが、自己紹介やスケジュール確認。演出含め、かなり詳細を話し合う2時間ほど制作会社などでやっていたような気がする。

当時、僕は下っ端だし、ただいるだけの人だったかもしれない。

でもそこにいるだけで、大きな仕事に関わっていることがとても嬉しかったような気がする。制作費として3千万~4千万、CM放映料で1億~3億とかが1か月でなくなっていた。タレント契約でも4000万。売り上げ伝票を書いても、正直数字を並べているだけで感覚がなかったように感じる。

そして今。僕はお店を作るのに1000万から3000万円をかける打ち合わせを何度もしてきた。9回かな、数十万単位の打ち合わせは数えきれない中心にいる。

今日は、その中で一番のお金が動くクラフトビール工場のキックオフミーティング。

胆のう摘出、アキレス腱炎?、2週間ぶりに家を出て打ち合わせに向かう。

本来は、任せる気でいたんだけど、このキックオフが意外と重要だと思った。

ふと20年前の東北新社葵プロモーション、仲畑など制作事務所で行われたミーティングを思い出したからだ。多くのスタッフを前に、誰がその場の空気を作るのか。

プロデューサーであり、ディレクターだったりする。

求めるのはクライアントの意向であり、クリエイター達の想い。

今の場合、僕と松山がクライアントになる。

どんな人がこのプロジェクトリーダーなのか。当事者なのかでスタッフの意気込みって変わるのだ。だから松山の気持ちも引き出したかったし、空気を作りたかった。

一緒にやりたい人達かどうか、それを面接されているのは、実は発注者である自分たちであることが分かっていない人が世の中多い。

お金を払っている方が全部やってもらえると勘違いしている人が多いから。

この人たちの夢や希望を叶えたい。

それがあるかないかで、全てが変わっていく。

会社も仲間もそうだろう。全てが金勘定では動けないのが人間だから。

僕が今日、久しぶりにシャバに出た理由。

それは空気を作りたかっただけ。

夢のような話がススムのを端っこで見ていて楽しかった。

松山が中心となり、工事費だけでも5000万、それ以降かかるお金は未知数笑

僕にはその金は借りた金しかない。

大勝負です。でもそれが楽しい。

信頼している仲間とともに交わした約束は一つ。

20周年、松山が作ったビールで乾杯しようぜ。

どうしてもあと5年。

クラフトビール工場をやる理由はそこだけだ。

自分たちの作ったビールで20周年の乾杯をすること。

その美味さったら、考えもしないほどだろうな。

ニヤニヤが止まらないぜ。