okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

他エリアへのチャレンジ

明日から豪徳寺新店舗オープン。新しい場所、体制など、新しいことばかり。

わからないというか決め切れてないことも多く、進みが悪かったり反省もあります。

でも、そもそもうまくいったことの方が少ない人生というか事業を楽しんでいく能力だけはあるみたいで。

そういう意味では今までとも変らないし、現在準備中のクラフトビール工場建設やその他も同じようにバタバタとするんだろうな。

契約の時点でOlympic後にオープンであろうということは想定していたし、コロナも落ち着いてる>?なんてあらぬ思いもありましたが笑

22日までは協力金もないので酒を出しつつ、状況見ながらって感じだと思いますが、ランチから22時までノンストップ営業してみます。

16年目は目まぐるしい。去年コロナで考えていたことを全部噴き出している感じ、。

大きなものがドドドって動いていく感じがすごい。

そういう中で会社経営。飲食店経営、チームというものをまた考え、悩み、進み、反省しまた前に。そんなことが心の中でうごめく。

まずエリアがこれだけ違うと、もうすべてのお店を見続けることができない。

これがネガティブ要因だということは、数多くの経営者が体感し、苦労したところ。

それをずっと言われてきたし、今も言われている。

そしてそれを改めて退官すると確かに苦しい感じはある。

伝わらない、伝えられない、わからない。個人の感覚や情報量、情報整理量に頼ることになる。そこですね。

そこにシステムが必要になって経費が掛かって。みたいなことなのかなー。

ただ、あまりそれをネガティブだけに考えていない。

これまで同じような話をずっとずっとスタッフとしてきた。

もちろん現実になると全くできなくなったり、止まっていたり。そんな感じも見え隠れしながらも、何度も何度も話してきたことだからハッと気づいては一歩踏み出すやつが出てくる。ストレスは話し合える人も多い。

仕事を振るのを下手な石丸は武田に怒られ、明日オープンするのだし。

クラフトビール工場という大きなプロジェクトもあるが、そこには松山がいる。

おけい屋を一緒に作り上げてきた仲間。年齢もちょうどよくなり、嫌なことも経験し、新しいことをスタートを引き受けてくれた。

見えないことに不安やきつくなりながらも、ぐっとこらえて前に進もうとしてくれている。助かるというか、任せた!というか、楽しみな人だ。

酒屋には碧がいる。ここも永くいてくれる人だし、信頼している。入社した時の不器用さはなくなり、自分がサポート役としていることに徹する。そしていま、コロナで酒屋を任されて躍動する人だ。

ピッツェリアには新しいスタッフが揃う。一番大変だ。でもやっとそこを楽しむ人が増えてきた。やっと楽しんできた。既存スタッフがあまりいないことで苦しんでいたのが、振り切れたのかもしれない。僕はピッツェリアに関してはブツブツ一番言っている。怒られても辞めていいって言ったこともしばしば。でも何かくらいついてきてくれている、新しいイベントをやろうと努力している風景も楽しみだ。

Vivaokei おけい屋も新しいスタッフも加わり、新しいお客様になるであろう新橋で苦しむだろう。でもここにも武田がいるし心配はない。

名前を挙げたきりないくらい、頼りがいのあるスタッフばかりなんだ。

だから今苦しくてもうまくいかなくても、前に進む勇気がある。

オケイのチカラってそこだと思う。

僕じゃなくて、みんなが分からないなりに進めること。その環境だけを作るのが僕で。

事業って辛いのかな。

僕らは楽しんでいくつもりだし、楽しい。

だって入りたい!って言ってくれる仲間が増えたりするから。

一人じゃつまらないよ、沢山の仲間といろんなことしたい。

コロナで大変だけどね、どうせダメならバンバンやりたいなって。

光が見えるために待ってられない。

判断が間違えても判断しないよりはましだ。