okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

お受験

僕は小学校も中学校も受験をした。

どちらの学校も悪くない、横浜にある精華小学校、神奈川大学附属中学校。

そのまま神奈川大学法学部に進んだ。

まだ創設されたばかり、4期生だった神大附属。

実は滑り止めだった。今は進学校らしいが、当時は人気がなかった。

僕も実際嫌だった、行くのが。

結局そこしか受かってなかったのだが笑

僕は、慶応中等部に行きたかった、行くつもりだった。

試験会場へいき、科目が全部終わり、帰ろうとした。

そしたらアナウンスがあった。

「次の論文まで30分休憩でーす」

えって焦った。

実はその時まで論文という試験があると知らなかったのだ。

本気で受かろうとしていたのは僕だけで、親も塾の先生も「記念受験」という

位置づけでいたらしい。

だから試験内容すら言わなかったのだ・・・

悲しかったなーあの日。

男女共学の慶応に行きたかった。かっこいいなーって思っていたからあこがれていた。

でもどっちにしろ、無理だったみたい・・だけど。

それで出来たばかりの神大附属に行くことになった。

学校も見にいかなかったし、興味もなかった。

僕の学生生活は終わったって思った・・・

それが目標だった。

でも実際にはすべてを裏切る学校だった。

友人には恵まれ、先生にも恵まれた。

自然に囲まれた学校は最高だったし自転車でも行けるのが良かった。

親が離婚して複雑な学生生活だったが、それを十分に満たしてくれる学校だった。

今でも先生や同級生や先輩とは仲良くしている。

それが全てだと思う。

受験というものが何の意味があるのか、それはわからない。

お受験をさせるのは子供ではなく親だろう。?今はそうではないのかな。

今思えば、わがままだっただろうな。

うまくいかなきゃ、「もう勉強しない」とか言っちゃったり。

良く親は我慢してくれたなー。

僕への教育論とか、色んな言い合いもしてきただろうし、

子はカスガイになりきれなかったのかなとも思う。

それでも救いなのが今、親は幸せに暮らしているし、僕も。

受験をしたことであの仲間と環境に出会えたということは

僕にとっては最高の受験だった。

結局は、中学1年生からの自分との戦いなのかな。

環境に惑わされず、環境を理由にせず、そこを楽しむ能力を養うしかない。

僕の場合は、家庭が不安定だったことで学校への欲求、仲間との友情。

家よりも学校。その方が居心地がよかったのかもしれない。

そのすべてが親が作ってくれた「環境」

僕には最高の環境を親が作ってくれたから、感謝しかない。

そしてお受験に関しては、いずれにしても何らかの結果を出せば、

あとは自らでいい場所にすればいい。

自分が合格した場所を自分の場所だと思い、楽しむことが必要なんだろうな。

今受験戦争中か。

子どもがいないから、僕にはあまり関係なくなってしまったが、

検討を祈りまーす。

伝える、文章を書くということ。

現在、okeiは休業し、各人が色んなことへ「冒険」に出ている状況。

SNSでの報告やLINEで色々と連絡が来ては、ニヤニヤしている。

これについては、何度か書いているだろう。

その中で今、感じていることを示しておこうと思う。

お店を休業し、売上を捨てて、得ようとしたのは

「健康」「会社の維持」「スキルアップ」他だ。

そこにもう一つ大きく加わってきたのが、「伝える能力」「文章力」

僕はこうして書くことを好きというか、書くことをストレスに感じることはないし、それにより成長してきたような気がしている。

SNSアカウントがなかったものにはとりあえず、取ってもらい、発信してみることを促した。今までやってきた人も改めて、伝えてみてほしいとお願いをした。

今までは、ある意味「しごと」として、「オープンしました」とか「待ってまーす」みたいな「とりあえず発信する仕事」をしてきた人たち。

それが、自分が得たスキルや経験を誰かに伝えたい。そんな気持ちが言葉から伝わってくる。正直、そこまで「文章力」や「自分を伝える」ということができるようになるとは思わなかった。

ココはとても難しい。誰かがずーッとやってしまえば、自分が社長や店主、管理する人になるまではその機会があまりなかったりする。

だから、なかなか成長させるのが難しいから、企業では報告書や社内プレゼンなどがあり、だんだんできるようになるのかもしれない。

お店をやっていて、どうしてもそこのあたりは教育出来てこなかったなーと反省をしているところ。でもこうしてみんなが自分のイレギュラーな出来事を発信したくなるってことが今存在しているのが驚きだ。

僕のココロもドキドキする。こうしてみんなが伝えてくれる言葉が生々しいし、躍動感があるから。コロナというものからの産物ではあるが、ポジティブに考えざるを得ない。

飲食業には多大な補助金が与えられた。もちろん足りないという方もいるようだが、僕らにとってはありがたいことだ。

その恩恵をスタッフが「文章力」を付けるというカタチで受けられたことが嬉しい。

書くってことは自分の言葉を整理できるし、伝える能力が上がっていく。学校で習ってきたことで十分スタート出来る。

これからスタッフ同士やお客様との会話。メニュー作成も。あ、業者さんとのやり取りもですね。

店での立場や仕事の内容で機会を得られないスタッフも、この機会にトライをしたことでストレスなく、スキルアップ出来ている。

とはいえ、みんながばらばらに経験したことをどうまとめていくかが、僕の仕事であるがどしたもんか。

緊張感のあること。ただ、視野が広くなったスタッフが動き出すときに、スタートが切れるようにしなきゃ。

ワクワクドキドキが止まらない。

hottokenine 子ども食堂など。参加する背景②

母子家庭だけではなく、困窮する家庭を助ける。

効率化はできない、どぶ営業的な要素もあることに対して、僕らが知らないところで多くの方が尽力されて、1人でも多くの子どもや人を救おうとしている現実。

少し調べてもわからないけど、現実を知る方と話したり、配送をしたりしてやっとわかることが多くあった。

自分たちが生まれて、年を重ねていく中で嫌なことや辛かったことが沢山ある。でも食べれないということを経験するのは少ないんじゃないか。

僕は精華小学校、神奈川大学附属中高等学校、神奈川大学と全部私立に入れてもらえた。家庭が複雑になり、いじめられたり、孤独だったり、ヒトと違う環境が沢山あったけど、暮らしや生活を脅かされることはなかった。

恵まれていたんだと思う。自分では恵まれてないとか思ったこともあったけど。

いわゆる子ども食堂っていうものは、無料でご飯を配布しまーすとか案内をして、何百人が来たりするんだって。

的確に困窮した家庭に届けるわけではなくて。間口を多くしている。hottokenineも同じように給与を調べたり、フィルターを多くはしていない。

不正をしようとすれば困窮してなくてもご飯をもらえたりしちゃう。

それでもいい理由がある。

本当に困窮している方や困っている方だけを呼ぶと目立ったりするじゃないですか。

そこに来るってことは、そういう人って。見下すやつだって出てくるかもしれない。

知られたくないことがあるから。母子家庭と分かれば、変な奴から狙われるかもしれない。

色んな危険がある。だから100人でも200人でも来てもらって、その中に紛れてもらうのが一番いいみたい。1人を救うためには無駄が必要ってことです。

いろんなことをいう人もいるはず。行政が持ってシステムを作ってなんちゃらとか。

でもね、それを待っていたらどんどん人が死んでいくんです。だから世界中、日本中でいろんな人が立ち上がっているって感じだと思う。

だから、小さな組織や個人でも、立ち上がっていく人がいないと行政も動かないのです。何もなくてもできることをとにかくやるってことですね。

だから僕が動くことで僕の周りの方が刺激されたり、何か動いたり。

皆優しい人の塊だから。

そしてそして、こんな声も聞こえてきます。

「オケイ!そんなことしている場合じゃないんじゃない?お店つぶれちゃうよ?」

そうなんです、ヒトのことばかりやっていいのか!って話はあります。でもですね。

僕ら飲食業は国から沢山支援を頂き、色んな生き残り方を試せるところなんですね。

その中でもお客様はお店をセレクトしていくんです。応援するお店を選んでいる。

僕も実際そうです。人やモノ、場所や雰囲気。色んなモノサシで選ぶ。

同じものを買うなら飲むなら食べるなら、どこで買おうか。

僕は応援されて生きてきました。それは僕が応援してきたからだし、誰かを支えてきたからだと思っています。

同時に無数の方に支えてもらってきた。感謝してもしきれないくらい。

結局、誰かを応援したり支えたりしている人しか皆応援しないんじゃないかなってことです。支援なのか、応援なのか。お金なのか言葉なのかはわかりません。

それでもとにかく支えられて支えている、チョコラbbエーザイのコピーライト。

まさにそう。

僕らが生きている今ここは、応援のし合い。

これからもそうだと思う。

だから、今自分が止まっている状況というか、休業している状況。

その判断はベター。その中でできることっていえば無償の愛情しかないかなって。

まずは誰かを支えるってことが出来るならしたい。そして支えてくれた方々への感謝のキモチとして、困窮家庭のために何かをしたい。

それがいつか大きな円の中でまた自分たちが支えてもらえる唯一の方法じゃないかって。間違えていてもいいのです。

判断をして動く速度が大事。今の速度と考えで1人の誰かを救えるのは間違いないから。

hottokenine プロジェクトへの参加を決めた背景

文章を書くということ。

実は自分の気持ちや伝えたいことをすーと整理されるような気がする。

ペンを走らせるという言葉がとても好き。

実際にはパソコンをたたいているわけだけど。

あまり書く内容を吟味して考えて書いているというよりは、パソコンを開けてから何を書くかを決めることも多い。

そしてスーとペンを走らせるのだ。

このブログで何を売ってるわけでもなく、何のために書いているのかということもなかなか難しいのだが、自己整理と解釈しよう。

母子家庭や困窮家庭へのサポートを決めた。自分がこれだけ苦しい時期に何を始めているんだ!という声も賛否もある中で。

背景にはやはり自分の家庭環境があるのだろう。

中学1年生の時に親が離婚をした。その時は父親と姉と暮らし始め、ほどなく父に2度目の奥さんができた。急に弟もできた。

3歳くらい下だったかなー。

中3くらいまで一緒だった。僕と姉と弟。どうしても2度目の奥さんは僕らがタンコブだったんだと思う。結局、一緒にいることはできなかった。

包丁を持ち出したり、怖さもある期間が続いた。結局、家庭裁判所に委ねることになり、裁判所で話をした。僕と姉は、口を合わせた。

 

「母の方に行きたい」「2度目の母とは住めない、怖い」

 

高校生活は母親と義理父と過ごした。ここでも大きな問題がありました。

彼が僕の学校の先生であったことがとても苦しくて、。。

一緒に住めないという選択をして、僕と姉の家と、義父の家を母親が行き来していた。

ココにはいろいろとゆがみがあったなー。

と、まあ書いたらキリがないのだが、今では父はとてもいい奥さんがいるし、母はその後ずっと義理父と過ごし、2年ほど前に他界。今は自由に元気に過ごしている。

 

僕は複雑な過程であったが、仲間にも恵まれたし、何よりもご飯は食べることができた。家族だんらんはほぼできなかったが、1人でご飯を食べることはできた。

そんな背景が、僕を飲食業へと導いたんだと思う。家族だんらんをしてほしいというか、仲間と一緒に過ごす場所が本当に幸せだったから。

今回の弁当支援。僕の人生の中で、一番孤独だった時期を感じるんです。

先日の子ども食堂でも感じました。団地があり、沢山の人が買い物を楽しんでいる町で、孤独な部屋でいろんな家族や人生がある。

まさに僕もそう思っていました。普通に電車に乗っている中でも、羨ましいことが沢山あったし。両親といる子供たちが。でもそれでも今思えば、幸せな学生時代と言える。それは根本にはご飯があったからだと思いました。

サッカー部にも入れたし、友達もいた。悪さもできたし、おまけに大学もいけた。

何の苦労もないということだと今思う。

だから見ず知らずの人に助けてもらったんだと理解ができる時が来たら、今回支援した子供たちがどんな人生を歩むのだろうか。

それを期待するわけじゃないけど、少なくても嬉しい思いや乗り越えたということが、何かになることは間違いないと思う。

1人でもいいから、助けたいという気持ちを忘れないでいたい。

 

hottokenine プロジェクトへの参加決意。2月8日~1か月間、無料弁当配布

2月8日から1か月くらい、ほぼ毎日、困窮している家庭への無料弁当配布をすることを決めた。プロジェクトはhottokenineという組織。

https://hottokenine.jp/

このブログはそこに至る経緯と賛同してくれる企業や個人の方々を集めたいなーというメッセージです。文末に支援のお願いとして「飲食店の募集」「配達人募集」「お米や食材などの支援」を記載しました。よろしくお願いします。

緊急事態宣言からの休業に入ったokei。何とか売り上げを積み重ねようと頑張った前回の緊急事態宣言。もちろん沢山の勉強にもなったが、積み重ねられる手段を僕は見いだせなかったのが現実。廃棄するものばかりだったし、スタッフは疲弊した。

今回は大胆に休業を決めたのは、スタッフに多くのことも学んでもらえるチャンスだと思った。

実際多くのトライを各スタッフがしているのが毎日伝わってきている、

○日本酒、ビール、そしてワインの醸造を体験、見学、試飲。

○中華やお菓子の店でバイト

○出張料理人を体験

○埼玉のピッツェリアが伊勢丹で行い祭事にお手伝い

○たくさん本を読む

エスプレッソマシンの使い方を改めてバリスタに習う

○料理教室にいく

○中学校の職業談講演

などなど。

僕は料理人ではないから、こういったことが何も教えられない。

だからいったん止まっている今でしかできないことを何でもやってもらいたい。

その中でボランティアというものも率先していくことを決めていた。

自分たちは正直、この状態だとお金としての利益は到底難しい。だからスキルとか経験を重視した1か月にしてる、そういう意味でこの人を救うということに関しても今が最適。自分たちが出来ることをやる。そのタイミングとして今があるかなと。

沢山調べた中でこのホットケナインというところと話が進んだ。

自分が片親ということもあると思うが彼らもまた、片親集団だった。

昨年は自殺者も増え、毎年増え続けている。困窮だけが原因ではないが、貧困というものが目に見え辛い日本。

こうして誰かが救っているということを調べれば調べるほどわかってくる。

それはなかなか表に出てこないところで、求めないと得られない情報。

その現実はかなり深い闇のように感じました。

とにかく、美味しいごはんを毎日届けるだけ。

そのコンセプトがとてもシンプルでわかりやすい。彼らが行動した結果、多くの資金が集まり、沢山のシングルマザー家庭が救われたのです。

今回は、寄り枠を広げ、シングルマザーだけではなく、色んな団体と連動し、困っている方々へしっかり届けるという枠へ。

正直、前に出てこない本当に困っているご家庭。コミュニケーションがうまく取れなくなってしまったり、ヒトとの関係をシャットダウンしてしまう場合もある。

また、困っている人―って聞いても出てこないんですよ、本当に。それだったら子ども食どいうで誰でもどうぞ―って言ったあげた方が来やすいみたいで、その中に困窮家庭もいるって感じで。100人に一人を探すためにやるって要素もある。

要するに効率とかはなかなか図れないモノなんですね。

なので、僕らもこれがいいとか悪いとかを考え過ぎず、1人でも救えるなら、支援を始めたいと思います。もちろん、何をやっても賛否はあるし、行き届かないこともある。

でもやらないよりは確実にいいから。

 

○配布対象:ご飯を食べるのに困っている家庭。

※各団体と連動し把握します

○期間:2月8日から1か月間、月曜日から土曜日。

○時間:16時から18時に各家庭へ配達。

○弁当:ご飯をベースとした夕ご飯弁当を日替わり。

※食材、包材はオケイ負担。配達料金はホットケナインが負担。

 

あ、大前提としてオケイも潰れるかもしれません。今は大赤字だし。

ただ、前も書いたような気がしますが自分の店だし、やりたいことをやるために独立しましたから。今やりたいのは、目先の売上を上げることではなくて、今のメンバーで出来る豊かさ向上と支援。

支援というコトバはとても温かいです。

キモチがありますね。僕らは15年間、ずっと支援してもらってきました。

お店はもちろん、お金も借りました。悩みも聞いてもらいました。何より、僕が気づいていないけど、僕のために動いてくれた人も沢山いるはず。

お礼も言えてない人も無数にいるでしょう。だから支援したいのです。

精華小学校の校訓

「人のお世話にならぬよう 人のお世話の出来るよう」を僕はこう解釈しています。

「人のお世話にならないことは絶対ないので、せめて人のお世話をしよう」と。

オケイの社訓です。

僕が動くことで誰かが動いてくれるかもしれない。

そこで少しお願いがあります。

① お弁当配達人

月曜日から土曜日の16時から18時の間、お弁当配達ができる方がいればご連絡ください。謝礼は少し出るそうですがキモチ的にはボラんディアの気持ちで。曜日は指定できるかもしれません。

② 食材の支援

全くのボランティアなので食材支援は嬉しいです。お米や野菜、冷凍食材でも。

※突然送られてきても入れる場所など困っちゃうので、以下のメールまでご連絡頂けばと思います。

③ 飲食店の方々へ

同じように参戦してくれる飲食店を募集しています。食に関わる僕らが立ち上がる意味はあると思うので宜しければご連絡ください。

③ クラファンなども考えましたが、まだ金銭をご支援頂くことは考えていません。今後、話が大きくなってくれば考えたいとは思いますが。

僕らが長く支援を続けられるように同じ気持ちの方々がいれば、是非ご連絡をください。

諸々ご連絡先は

okeinokimochi@gmail.com

です。

よろしくお願いします。

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豊洲子ども食堂を終えて。

江東区にある豊洲子ども食堂とご相談して昨日オケイの無料ご飯配達をしてきた。

ピッツァ、美味しい野菜、スコッチエッグを50人分。

コロナ感染防止、緊急事態宣言中ということで、各家庭への配達ということになりました。ご協力いただきました関係者の皆様、ありがとうございました。

そしてお休みの中、ボランティアとして働いてくれたOKEIのスタッフにも感謝です。ここうした活動というのは初めてでした。

寄付や募金、ボランティアとしての金銭提供は独立以前以後も続けています。

海外で恵まれない子供を2名育てたり、災害時への寄付のために休日を営業し全額寄付、単純に200万円寄付とかね。色々やってきたけど全く別世界でした。

今回、一緒に取り組んだ豊洲子ども食堂

もちろん皆さんボランティアだし、継続してずっとこうした支援を行っている。

資金や支援物資を各商店街の一人一人にお願いをしたり。

今回配達している間にも各店に声をかけて挨拶をしてお礼を欠かさない姿勢。

そもそもボランティアなのに、みんなに頭を下げて歩く。そしてまたお願い。

自分のためではないのに。

プライバシーやいろんな問題を抱えながら名簿を整理している姿も泣けてきた。

今は住所や電話、名前すら公表することや色々問題があるでしょ?

その賛否がある中でも、それらを誰かに見られます!でも支援をするためだから!と各家庭に話しているそうです。

色んなものを守っていては、守れないことがあるってことですね。

ネット情報は全くというわけではないけど、効果的ではないそうです。

各家庭に行って状況を確認したり、電話したり、ビラを配ったり。

もちろん、良い顔をされないこともあるし、迷惑がられることだってあると思う。

今回も急にキャンセルとかもありました。

普通ならイラっとするのかなーと思いますが、誰もしません。

要するにある程度の行動をすれば、思いとは違うことも起きる。

でも救える命が確実にあるというのが大切で、誰かがそれをしているから

日本という国が成り立っているんだと確信しました。

いま日本が色んな批判をされている所ですが、こうした方々が沢山日本にいる。

それが感じることができて自分自身は捨ててもんじゃないぞ!日本!って思います。

休日返上で誰かのためになることをする。

それって言葉は簡単だけど継続的にできる人ってすごいと思う。

僕はお金だけを寄付してきたけど、1歩踏み出してよかったと思う。

実際一緒に体験してくれたスタッフは同じような気持ちになっていた。

ぼくは色んなことが家族であったけど、ごはんに苦労したという経験はない。

親が何度変わってもご飯はあった。

もちろんそれなりな苦痛はあったが、周りにも恵まれて育った方だと思う。

親や家族に感謝しつつ、自分と時間を沢山ともにしてくれた学生時代の仲間には感謝している。

食というものがどれだけ大切かという話から、最終的に人間関係やコミュニケーション。仲間という話になったりする。

そういう意味で、今自分たちが出来ることって色々あるなーとアイディアが出てくる。

近く、飲食店の方々への協力をお願いするつもり。

プロジェクトを進めるにあたり、OKEIだけでは難しいから。

まずは僕が動く。そしてその渦を広げる活動もしていかないと、救える人数が増えないから。もちろん赤字だけど、これを止める必要はないかなと。

だって必要なことだから。

もちろん、どっかではその活動をどうやってボランティアでやれるようにするかが問題で。

支援物資や支援の輪を広げていくことも必要。

でもでも、それありきでは進まないから、まずは自分たちが動いていきます。

 

 

動くこと

今まで「動く」ことをとても大切に生きてきたと思っている。

「止まる」というものを肯定するときもある。

それは人ぞれぞれのタイミングで多くの決断を皆がしている。僕もその一人。

ただ、今悩んでいる所です。考えている所です。

というのは、決断をしていない状況で、あまり僕はその時間が好きではない。

悩みながらも動くことが大切だから。

動かないと何も始まらないし、何も変わらない。

そもそも、僕は儲かることを考えるのがうまくない。

楽しそうなこと、誰かのためになることなどそれを突っ走ってから始まることばかり。

最初から勝機があることを最初からうまく出来たことはない。

長く継続してきているのはお店を経営している時間くらいで、あとは続いていない。

今回、緊急事態宣言の中、動いている。

その動きは目まぐるしく、毎日知らない人と会い、話し、新しいアイディアを生み出しては無くなっていく。

2月以降、無料弁当配布をやっていくことも決まった。

コロナの中で赤字を上乗せすることが正しい選択肢なのかどうかはわからない。

でも飲食の意義や何かに邁進できるという意味。

結果は明らかで必ず幸せになる、命を救える取り組み。新しい人と出会い、誰かを助けるという共通認識をもちながら。

まずはやってみるのがいいと判断している。

そしてそれを発信していくことで何かが動いていく。ゆっくりとココロが動く。

実際子ども食堂とか、取り組みを発信していくと動いてくれた方がいる。

炭おけい屋のビール担当 サントリーの西森さん。

担当して間もない彼女は、僕の投稿を見て、居ても立ってもいられずに、缶ビールを協賛してくれた。子ども食堂には関係ないじゃん!みたいなオチみたいな話だけど、ボランティアの方は喜んでいたし、何より気持ちが嬉しい。

気にして下さること、一歩勝手に踏み出してくれる仲間がいるということの心の意義は計り知れない。

この場を借りて感謝をしたいと思う。

同じような話で、僕がサポートを宣言している八百屋やワイン屋などと話していると、その心って大切だなって思う。

僕一人が頑張ったところで彼らの生活になんて影響を及ぼすほどの売上はない。

だから、微々たる売上でごめんねーとつい言葉が出る。

でもたいてい彼らはこう言うのだ

 

「いや、気にしてくれているだけでうれしいです。その気持ちだけでありがたい」

 

結局、発注量だけではない、変え難い信頼関係を築いていけることだし、支えられている、支えているっていう実感。

そこがこのコロナの時代にはとても響いてくるじゃないですか、会えないから。

会えなくてもできることもあるし、気持ちを伝える方法もある。

この動くってことはそういう自己表現でもあるが、それよりも温かさを感じる一つの方法。止まって不利益を恐れていると、どうしても温かさが感じる機会が減る。

 

温かい場所に生きていることがとってもありがたい。

そんな場所を心と実場所で提供していきたい。