大学一年生になった自分は、初めて日記を書いた。
その一ページには「永友」という言葉を書いた。
僕にとって英雄のような友人、それを僕は永友と表したのだ。
このことはもしかしたら書いた内容かもしれない。
でも今日書きたくなった。
僕は最高の優しさを知っている。
最高の優しさは見えない優しさ。
いつか気づくかもしれないし、気づかないかもしれない、無償のもの。
中学1年生の時、親が離婚した。
父と姉と暮らしていた僕は、一ヶ月ショックで学校を休む。
胃潰瘍だった。
そして学校に久々に行くと先生から呼び出され、沢山の「質問」をされた。
まるで僕を心配しているように彼らは「興味本位」の「質問」を繰り返した。
ひどく疲れたのを今も覚えている。
それは見える優しさを「優しさ」と勘違いしたエゴであり、僕にとっては「友達と話す時のネタになる生徒の話」とした思えなかった。
サッカー部の練習に久々に行く。
ただサッカーをして帰った。
それがずっと繰り返された。
その間親の再婚、また離婚、僕ら姉弟を殺そうとする義理母現れ裁判になるなど、本当に沢山のことがあった。
いつ自分が自分でなくなるかという恐怖と戦っていた感じかもしれない。
でも僕はサッカーをしていた。
楽しかった。
そして大学、就職、現在・・・。
わかるだろうか?
中学から今までずっといる友人は好奇心旺盛のその時代から、僕に何も聞いてきたことがない。
片親であることは理解していた。泊りにも来た、酒も飲んだ。
でも何も聞かず、ただサッカーをしていた。
ファミコンをしていた。
そして、その友人を共有する友人もまた聞いてきたことがない。
僕はその優しさを超える優しさを感じたことがない。
だからそれが気づいた大学生のころ、日記にこう書いた。
「カレラを永友と呼び、彼らをずっと守り続けて生きたい」と。
その優しさが僕の目標であり、歩き続ける道だと。
あの頃、それがなければ、間違いなく僕はグレテいただろう。
何もない人間になっていた。
それを救ってくれたのは永友だったんだ。