okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

計画

今日はokeiのミーティングの日でした
年始と言うこともあり、今年のスケジュールなどを話したり、キックオフミーティングの要素が強かったように思います。
そして、その中で今年僕がやりたい事の大きいものをたたきとして出しました
経営計画書作成です

口頭で話してきた事をしっかりと明文化していく事。
毎回のミーティングでばらばらと配ってきた思想を一つにまとめる事。

下記はその一部です
これがこれからシェイプされ、okeiの鏡となり、根本となる予定ですので示しておきます


経営ビジョン
Okeyに関わる方々の人生が豊かになること 豊かさの追求
僕は、なぜお店を出したのでしょうか?何がしたかったのか・・・。その整理から始めることになります。
やはり幼年時の思いが強いのかもしれません。親が離婚をして、義母に殺されそうになったり、裁判沙汰になったり、いじめられたり・・・。そんな中で、僕は家族団欒がありませんでした。小学校高学年からずっと今までです。
1人でご飯を作り、または作ってあるご飯を温めてビデオやテレビを見ながら食べていた記憶しかありません。
そこで蛇の道に行かなかったのは、仲間とサッカーがあったから。誰も僕の実状を問う事もなく、ボールだけを追いかける。
その優しさに感謝をする事ができるようになった学生時代から今が始まったように思います。
どうやってその思いを恩返ししていくか、それ以上に返していけるか。それは無理でした。
だから、せめてこれから出会う、今まで出会った仲間を大切に、できる限りの事をして楽しんで、僕がいたから良かった、楽しかった、笑えた・・・。そんな人間になろうと思いました。
まさに、ペイフォワードであり、人のお世話にならぬよう 人のお世話のできるよう 《人のお世話にならないことはないので、せめて人のお世話のできるようになりましょう と解釈》 だろうと思う。

協同広告に入り、社会を学び、人間関係のいい面と悪い面を感じ、無償の愛情を確立した人たちと出会いました。
結婚式など幸せのお手伝いを多くする事で、自分ができる事が増えていきました。
そして、身の回りの方を幸せにする事が、そこに関係した人たち、またはそれを見た人たち、感じた人たち、ひいてはその話を聞いた僕の全く知らない人たちまで、幸せにする事が出来るという事実をつかみました。

その付近でヘッドハンティングにより、数社の宣伝担当のオファーが来ておりましたが、このタイミングしかないと思い、
独立を決意しました。
身の回りの人たちだけじゃなく、自分をオープンにする事で、沢山の人たちの幸せのお手伝いをできるんじゃないかと言うのが夢の出発点だったように思います。

広告代理店で過ごした方がおそらく安定した収入と休暇と遊びを手に入れる事が出来ました。
でも、僕がこの世界へ身を投じたのは、やっぱり豊かさの追求だと思う。
人に救われて、恵まれて、生きてきた自分が間違いなく今ここにいる。
その豊かさは、決してお金で買えなかったもの。その追求無くして、人生は過ごす事が不可能だと思ったからだろう。

だからこそ、改めて思う。Okeyという会社で僕が成し得たい、いや、必ず全てにおいてこの心を持ちあわせていくことは、この僕とokeyとokeiに関わる全ての人へ、豊かさを提供していく事。
そして共にそれを追求する仲間の人生を豊かにすること、またはその仲間の家族を豊かにすること。

決して、営利(鋭利)を振りかざすことなく、思いやりと謙虚さと温かさが全てから伝えられる会社である事を誓う。
人は必ずに死にます。その1人の人生を豊かにするものは何でしょうか、それは人です。1人で出来ることなどたかが知れている、いや一つもできないと言える。でも同志と出会い、愛する人と出会い、分かち合い、助け合える事、無償の愛情を注げる勇気と行動力があれば、人生の豊かさは飛躍的に変化していく事だろう。

楽しい事は楽じゃない、でもそれを追求するこそ、楽しみの原点なんだと、分かっているはず。
必ず、このビジョンから外れることなく、社員全てがこの想いを理解し、全ての行動が鏡となることをお願いします。