okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

違うことするのって楽しい。

緊急事態宣言が延長されましたね。

選手村ではお酒が飲めるとか、コンドーム使い放題とか。(←これは毎回ですね)

未曾有の事態なんだから、開催するにしても色々みんなで我慢しようよって思っちゃううけど。お国様もどうしようもできないんですね、たぶんオリンピック王様には。

とりあえず、ピッツェリアテルツォオケイだけ営業をして、他は休業ですね。

今さら、我慢できずに酒を出してしまう勇気もなく・・・。

スタッフの皆さんにはベストの判断が出来てないのか、どうか。

申し訳ないのかなーとか思いながら・・・。

ってその話はいいか。

休業中にピッツァの巨匠 大坪さんのお店 イルタンブレッロでオケイの黒井君が働いています。週に2回なんですが。

大坪さんから連絡が来て始まったこの企画なんですが、電話で話しながら黒井君に行ってもらおう!って思っていました。

そもそも黒井君が入社したのは8年ほど前。

29歳でした。何と誕生日が僕と一緒で。。。

面接をして、最初はごめんなさいをして、やっぱり採用だったけな。

その時はまだオケイは2店舗なるかならないかってところ。

ピッツァ窯もガス窯でした。彼はピッツァイオーロとして入社。

ちょい実力がまだまだだったから、苦労もしました。

それからキッチンとして長く勤めてくれて。ある時、フロア転向を提案しました。

プロ野球でもあるじゃないですか、ピッチャーからバッターとか。

サッカーの井原が実はFWだったとか。

キッチンで収まるよりも、外に出したいなって。

僕は料理をやらないけど、彼はやってきた。ちょっとした知識が違うから

僕とは違うけどいいサービスマンになるといいなって。

そこからokeiで出したお店はだいたいフォローしてくれています。

現在は月島961という自分の名前クロイが数字になったお店を任されている。

1名で切り盛りするお店で休業。

改めて外の世界というか。自分のルーツであるピッツァの巨匠のお店で働ける機会を与えられたことが良かったなー。彼にとっては気持ちの切り替えというか。幅というか。

そんなチャンスになっていると思っている。

金土だけの勤務だけど、新しい黒井になっていくのを楽しみにしていよう。

僕の会社では、今、今後どうしていくんだ!そんな話ばかり。

そりゃそうだ、僕が色んなことをやろうとしているから。

以前もどこかで書いたと思うのだが、再度書いておきたいこと。

8周年ぐらいから働きやすい環境づくりをトライしてきて、8年目。

長く勤務してくれる人、そもそも辞めるという選択肢がない人。

そんな環境を聞いてか、公募しなくても入社希望がいたりする。

長く勤めてくれることが目標というか、安心感が正義だと思ってきた。

違うわけではないが、その中にはやはりよどむというか、マンネリする人や時期がある。

新しいコトが必要になってくる。それはジョブローテーションだったり、新事業だったり。ただ、どうしても今を失いたくない、わからないことをやりたくない!そんな思いは全ての人が思っていること。

そこを楽しみに変えて行ける雰囲気や未来像を何とか提案し続けることが必要。

長く勤めていく以上、自分たちが成長するには、自分たちが未経験のことにチャレンジ、勉強していくほかない。

それがクラフトビール醸造だったり。エリア分散だったりする。

月島から始まり、日暮里、豪徳寺

新しい人との仕事も沢山ある。その刺激を楽しむ。

やっぱりなれたパートナーとやるほうが楽に進むが、それだけでは飛躍できない。

凡人な僕には頑張る環境が必要だし、その自分を応援してくれる人が不可欠。

こうして日々のことを書いていく自分。

それを見て、クラフトビール醸造士になる松山がnoteを書き始めた。

note.com

前からいろんな人に発信力をつけるように伝えているが、なかなか手につかない。

その中でまず足を踏み出したスタッフがいる。

さて、こういう動きがみんなの躍動感を生むといいなとニヤニヤしているオーナーでした。