okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

退社したワッキーの話

3月31日で退社したviva!okeiシェフ ワッキーのことを書きますね。

ちょっと前に書いたblogで退社経緯は書いてあるのでこちらを見てください。
https://pizzeria-okei.hatenablog.com/entry/2022/12/01/005243

今日書くのは最終日3月31日を終えて思ったこと。
先に書きますと、その日の売上は過去最高、おそらく塗り替えることのできないような売上でした。
それだけを書いても、彼が経った1年というviva歴の中で残したものはあったと確実に言えます。

そもそもワッキーは駅前ビルにあるvivaには向かない人でした。
はっきり書けば、声も小さい、何となくドギマギしてる、何となく心細い感じ。
それでも僕は彼にシェフを任せた。

それは彼のやってみたい気持ちがあったから。不安はあったみたいですが笑
もちろん、向かないんだから、イマイチうまくいかないこともある。
武田にもその話は最初からしていましたし、何とか殻を破るようにしようと話していました。

案の定、大変だったと思う。正直、嫌だった、辞めちゃいたいって思う時もあったみたい。

シェフになるにあたり、ワッキーにはあるお願いをしました。
インスタに毎日投稿してくださいって。統一感のある、メニューを毎日毎日。
結構、1度の指示で継続してくれるスタッフというのは稀です笑
《本にするから。だから継続してほしい》
そう言って彼はずっと1年間、続けてくれました。
SNSを続けることってあんまりできないんです笑
僕はそれが彼の良さだと思っています。
僕の思いは、そんなにコミュニケーションが上手ではない彼をどうやって育てるかということ。
その手段がこのインスタでした。
vivaのインスタを見てくれている人がまずはワッキーを知ってくれること。
自分の得意な料理や試験的にトライしている料理のことを書く、一方的に書く。
文字で書いていくと整理されていくし、ちょっとした人間が出る。
そこが重要でした。
インスタを続けてくれたおかげで彼の人となりを分かってくれる人々が増えていきました。
お客様がインスタを見たよって話しかけてくれたと思います。
コミュニケーションが苦手な人は基本、話しかけるのが苦手なんですね。
でも話しかけてくれたら話したいんですよ、本来。
そこを引き出してくれるお客様が駅前ビルには沢山いると思っていました。
ワッキーのいいところだけを見てくれる、愛情いっぱいのお客様がいました。
ここはじっくり、あまり大きな要求はせず、ただただインスタを更新してほしいとだけ言うこと。
それが僕のキモチでした。
結果、少しずつカウンターとワッキーの近くの席には盛り上げてくれる方が増えていったようです。
そしてそれを境に、ワッキーも少し殻を破り、接客が楽しくなり、自分の居場所を見つけ、仲間を見つけました。
今、退社した後に沢山の仲間と対話しているのを聞くとグッときます。
皆さん、支えてくれて本当にありがとうございます。

そして3月31日。徳島の移籍先オーナー田上もわざわざ来てくれて盛り上がりました。
その光景はもう光り輝き、本当に素晴らしい光景でした。
沢山の方がワッキー!って大きな声で呼び、叫び、乾杯。
僕は泣いてしまいました、。、
ただただ、営業中に泣いてしまいました。同席していた常連さんだけがわかっていたかもしれませんが。
盗撮された写真をアップしておきます笑

f:id:pizzeria-okei:20230413000745j:image

そしてその裏にはお客様がサプライズを仕込んでいたり、武田が時間ない中でもワッキーのために作ったアルバムをプレゼントしたり。
サプライズの仕込みなどを見ていましたが、僕はあまりそこに参戦しないようにしました。
だって、ワッキーの前にいる応援団がたくさん考えてくれてる。
僕が出ていくと急に会社みたいになるじゃないですか。シンプルに彼の応援団がしてくれているすべてを彼が感じた方がいいから。
ホントに幸せな空間でした。
ワッキーのお陰でそういう気持ちも分かったし、本当に感謝しかありません。
自分で動く、そんなことも彼は出来たと思います。

最後に酔っぱらう前にってことで、手紙をワッキーに書きました、営業前に渡したんですよ、31日に。
そしたら僕も、、って手紙をくれた。そしてエプロンをプレゼントしてくれた。
本当に嬉しかったな。
彼からの手紙でとっても印象的な内容があった。
コロナになるまで、ずっと書いていた給料袋裏に書くお手紙。一人一人に直筆で僕が手紙を書いていました。
コロナで休業が続いた2年半くらい。実は何となくその手紙が風化しました。
僕なりに理由はあったんです。だって書くことが無くなってしまったんです。
営業してないから、何も書けない、、、、今をどうするか、潰れるかどうか、、、
そんなことしか書けない。だから書けなかったんです。
そして今はラインでシェアして終わってます、給与明細。
で、それに対して《寂しかった》《いつも書いてくれて嬉しかったのに、無くなって嫌だった》
って最後の手紙に書いてあったんです。
《メチャクチャ忙しいのに書いてくれること、嬉しかったし、見てくれてるってことが幸せ》
そんなことが綴られていました、
もちろんそんな文句だけじゃなく、感謝もね笑
僕もびっくりした、あれをちゃんと向き合ってみていてくれたんだなって。
そして反省しました。
6店舗になって失ったものや得たものがたくさんあるんですが、それってこうした少しずつ変化しちゃったものが影響するのかもなって。
テガミノチカラを僕はコロナで改めて語っていた時期がありました。
継続していくべきもの、変化すべきもの。
それをワッキーの手紙の力で再認識させてもらった。
だから何らかの形で復活するからね、ワッキー
ありがとうね、気づかせてくれて。

徳島に必ず行きます。
ワッキーへの手紙の最後には僕はこう書きました。
《一生友達でいよう》
友達だからさ、また遊ぼう。次はオーナーと社員じゃなく、友達として。