少し重複しますが書いておきます。
1週間前に「一人で周年パーティやるよ」と急遽言い出した18周年、12/9 土曜日。
実際には沢山の人から「今年こそ、周年パーティ復活だよね?」みたいな話は数か月前から言ってくれていました。でも常連 山上さんから最終的に連絡をもらい、一人でやってみようって決意。
でも実際には昔みたいに新橋にずっといるわけではないので準備なんてできなかったんですね。。。前は2か月前から打ち合わせをして臨んでいたんですがね。
それで最後の最後で、「ありがとう」だけはやろうって夜中から書き始め朝になってました。その数、175枚。スタッフ、お客様、家族、場所やモノ、その他いろんなものへの感謝も書きました。
毎年必ずやっていたことだけは一人になってもやろうって、感謝の気持ちを示すことだけは続けたいと思ったんですよね。
ほぼこれだけが準備でした。
14時からのオープン。10時半に到着し、準備を始めました。
そうしたら、独立したフィロ軍団が応援に来てくれました。そのありがとうを店内に張り巡らせてくれました。数分すると碧とゆず、黒井がお手伝い。
「手伝いしに来た」といちろうが来てくれて、なんか一人じゃなーいって嬉しかったな。
そして宮坂が「ありがとう」の白紙を持ってきてくれた。
「準備できてないって言ってたから、みんなで書こうと思ってさ」
僕がずっと続けてきたことを知っている友人が、一番やりたいことをわかってくれて準備してくれるってすごいです。。。嬉しかったなー
おかげで175枚のありがとうが無数のありがとうに代わり、沢山の方からのメッセージで埋め尽くされ、僕も今手元で全部読むことが出来て、幸せいっぱいです。
その後24時までノンストップ。休日のスタッフも沢山来てくれて、手伝ってくれました。また、お食事はないから持ち込みだったけど、無数のごはん。
樹里ちゃんなんて炊き込みご飯を作ってくれたり、もうたくさんの方からの愛情ある差し入れが心にしみました。串揚げからコロッケ、ウナギまでもう豪勢なつまみ。
本当にありがとうございました。
急だったから顔だけ見に来た、差し入れだけくれた方も沢山いた、総勢50名以上。
急だったのに本当に本当にびっくりしたし。ありがたかった。
一人じゃない。そう思いました。
18年前から一緒にいてくれる人たち。長い付き合いの同級生、家族。
この2年で友人になった豪徳寺の方々。
自分が生きてきていることを実感できる日でした。
そしてコロナで失ったパーティ。常に400人以上があの場所に集結していた日。
それを再開した今年、一人でやったのは正解だったかもしれません。
身の丈に合った、全員としっかり分かち合える時間があったから。
大好きな場所で大好きな人たちに囲まれて生きている。
そしてそれが続いていければ、それでいい。
同時に反省しましたね。
自分がこうして生かされているんだから、
もっともっとこういう楽しい空間を作っていかないといけないと。
コロナというものを理由にブルドーザーのように「事業」を進めた。
やりたかったのかどうかはもう「忘れて」しまった。
あまりにもこの3年が変わりすぎて、最初に変化を求めた自分の感情は
忘れてしまったんです。
あまりに多くのことを進めすぎて忘れちゃったけど、
今があるのはコロナがあったから、良くも悪くも。
事業がある程度見えた今。
また、「やりたい」空間、「遊びたい」空間を作っていかないと。
皆と遊んできた若い時期、その「おじさん」バージョンをやっていく。
そんなことも18年、いや20年前に協同広告という広告代理店を退社してからの感謝の一つになると思います。
みんなからのありがとうにも沢山泣かされました。
「ここにいてくれてありがとう」
そんな言葉が多かった。
長い時間かけてこの言葉をもらったんだなって。
なにかをやりたいなーと、やるのとは全く違う。
やり始めるのとやり続けるのも全く違う。
そう痛感しているこの18年で何となくボヤっとわかってきたその先。
もしかしたら20周年で分かることかもしれない。
靄のかかった場所が見えるのかもしれないし見えないのかもしれない。
だから、パーティの最後に言いました。
「とにかくみんな健康で20周年、一緒にいて下さい」
夢と希望に満ちた20周年に向けて動き出します。
その意味も込めて泣きじゃくってる写真も載せておきます笑