okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

夢は叶うって本当みたい

11月が決算月のオケイ。

この月が終わり、決算報告会をやると、1年が終わった気持ちになる。

コロナでなんかずっと終わらない月日を過ごしていたのだが、決算報告会がみんなで出来て、少し整理できました。

このブログもほとんど書けなかったなー。2023年。でも活動的でも書けない時もあるんですね。やはり。だからまいっか。

ただ、綴ることをやめてしまうと、伝えられることが減っていくというか、越えられないものがあるなーって感じた1年でした。このブログもなんだかんだ18年になるわけで。ここに書くことは真実ばかりで、僕のメディアといってもいいのです。

だからやはりこうしてお店も会社も大きくなっていく中では1つ、こうした場を大事にしていく必要はあるなーって感じました。なのでしっかりこちらのブログを僕の日記として再稼働していく決意表明しておきます。

さて、10月に HOME - 焚キ火ノ音 -TAKIBI MUSIC FESTIVAL- (takibi-oto.jp)

焚火フェスに協賛させてもらい、運営と出店をしてきました。

夏フェスに社員旅行で行くほど大切にしている屋外イベント。

今回はそれを協賛という形で新しいかかわり方をしてみたという感じ。

アーティストブースでの食事提供もしかり、刺激満々の日々でした。おかげで終わってから少しいろんなアイディアがあったのに、放心状態で手がつかなかったな。

やり切った感というかね。

あの場所には何度か行ったことがありました。お客さんとして。

昨年、初めてアーティストブースと運営手伝いで入らせてもらってお付き合いがスタート。実はそこまで2年かかりました。お問い合わせセンターから「関わらせてほしい」と連絡したのが2年前。そこから社長さんと会う機会を頂いて話をして。。。

そして今年は協賛!ってことで、少しいろんな視点を持つことが出来ました。

僕の今年の大きな目的は社員全員で行くということでした。

多店舗になり、営業日も違う。やはりいろんなことがまとまっていくのはとても難しいのです。

コロナで店舗がバラバラになっていく中で、スタッフには話していました。

「まずは各店舗で結果を出そう」「でも必ずセパレイトしていく。それを後で調整しよう」

新しいチャレンジをすれば必ず、何かあります。そしてチームが解体していき、まとまり始めるには時間がかかる。まとまることだけを求めるとチャレンジが出来ない。

いったん、会社を無視して各店舗で行こう!って数年だったわけです。

そしてそれをくみ取る時期に来たと判断した。

それが2023年。その取り組みの一つがこの焚火フェスへの全員参加。

前回は1店舗が担当してました。それを全員で行うことで空間を肌で味わい、

何か共通意識を持ってるという「きっかけ」作りです。

ふたを開けてみたら、よかったなって。初めて会うスタッフが肩を寄せ合う。

仲間として認識してくれたことが嬉しかったです。

簡単ではないことですが、頭で考えすぎると行動できないでしょ?

こうした取り組みはやはり僕が無鉄砲でやらないと。

感じたすべてが正義ではないとは思いますが、感じないよりははるかに美しい光景だったはずです。

もう一つ。ビール屋さんとして協賛をしたわけですね。オケイブルワリーとして。

サングラスをロゴに使っている世界でも唯一のブランドです笑

フェスでガンガン配りまくり、フェスの一体感を出したい!そう思っていました。

まだまだ大きくないフェス。そして音楽だけじゃなくて、焚火アウトドアイベントとしてのニュアンスも大きい。

それはいい部分もあるのですが、音楽を聴くよりも焚火優先の人もいるし、目的がはっきりしてないというデメリットがあるんです、僕の個人の見解です。

だから何か同じものでまとめたらどうかと。

夏フェスやライブに行くとグッズを買いたくなるじゃないですか。でもそれはそこに行くことがかっこいい!とか自慢できる!みたいなマンモスフェスやビックアーティストだからなんですよね。売れるのは。

だから「あげちゃう」ものがワクワクするものならいいんじゃないかと。

それがサングラスでした。

そんなフェス、今までなかったと思います。

その景色がいまだ忘れられません。全員がサングラスをしてるんです。

焚火している人、受付しているスタッフ、沢山の出展者たち。

そしてアーティストがこぞってステージでかけてくれました。バックヤードでビールを飲んでくれて、「オケイブルワリー!」なんて叫んでくれて。

これを書いているだけで泣けます。

最後にPushimが大トリだったんです。世代ということもあり、かなり前方で聞かせてもらいました。そのプシンがですね、アンコールでサングラスをかけてくれたんですよ。

なんかジーンと来ちゃって、号泣。

なんか考えてくれたんだなって、最後はサングラスかけて歌おうって。

ポケットから出して歌ってたから。隠して最後にかけようって。

これが夢だったよなーって。

サングラスが夢じゃなかったけど、あの空間を作ることが夢だった。

自分の店で最大800人で作ってきたフェスやパーティ。

そこで沢山夢をかなえてきた。一体感ある場所を作ってきた。

コロナやいろんなことで変わってきた僕だけど、あの場所でもできた。

温かい心が通う、最高すぎる空間になっていた。

出会いもあり、なんか友達になっている出展者やコーラスの方もいる。

僕の生き方が48歳の今でもほそぼそ灯っているなって。

生きるって大変なこともあるから辛いけど、

ご褒美もあるよね。